自分とBUMP OF CHICKEN その7 サブタイトル思いつかなかった編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

2014年3月、「COSMONAUT」から実に3年3か月振りの7thアルバム、「RAY」が発売された。ただ、アルバムの発売の直後は自分の所属している吹奏楽部の集大成である定期演奏会があり、そちらに時間を追われているため、ようやくじっくりとアルバムを聴けるのは新年度に入ってからであった。

「RAY」は「COSMONAUT」のカントリー感溢れるサウンドから、シンセの多用を中心とした挑戦的な音作りが見られる曲と、バンプの原点とも言える重厚なロックテイストな曲が同時に並ぶという、バンドの今と昔が交錯しているようなイメージを強く受けた。特に「ray」は今のライブでも定番曲になったように、このアルバムの核を成す曲となった。〈生きるのは最高だ〉というフレーズも、ついにこの言葉を言葉として表現するのか…と衝撃を受けたのを覚えている。

また、このアルバムは以前の記事で書いた「BOC-AR」アプリと連動して、アルバムの歌詞カードをより楽しめる要素もあった。「orbital period」に付いてきた「星の鳥」とはまた違った形でのストーリーの楽しみ方を体験する事が出来た。実はまたやってほしいシステムだと結構思ってる。

 

「RAY」の発売と同時に大きなニュースとなったのが、初音ミクを客演に迎えたバージョンの「RAY」のリリースだった。


BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」

アイドルマスターを通じてニコニコ動画ニコニコ動画を通じて初音ミクを認知していった自分は、この意外すぎるコラボに最初はとても驚いた。しかし、これまで他のアーティストとコラボというコラボを行ってこなかったバンプが、初のフィーチャリングとして迎えたのが初音ミクという事に、不思議と違和感は感じなかった。というのも、初音ミクというアーティストは実に透明なアーティストであって、その存在をそれぞれのコンポーザーたちが自分の色に染めていくのが一つの魅力であると自分は考えている。それと同じように、このコラボもその透明さがゆえに成立したものだと考えている。バンプの持つ世界観と衝突しないアーティストが誰かと考えると、初音ミクが正に適任だったのだと思う。

この二組は、のちに行われるライブツアー「WILLPOLIS 2014」の千秋楽の東京ドーム公演で待望の競演を果たした。


BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」LIVE MUSIC VIDEO

初音ミクが現れた瞬間に起こる歓声、藤原基央初音ミクにボーカルを譲る瞬間の様子と、この会場にいる誰もが「初音ミク」というアーティストを心から受け入れていたのが伝わってくる。それだけでもこの異色のコラボは成功したと言えるのではないだろうか。

ちなみに、この初音ミクとのコラボした際の音源は当時iTunesでのみ期間限定で配信された。前回のブログのように当時ダウンロード配信に全くタッチする事の出来なかった自分はここでもやはり置いてけぼりを食らう事となった。そんな音源は今ではSpotifyなどのサブスクで聴く事が出来る。本当、良い時代になったものである。

 

先述のライブツアー「WILLPOLIS 2014」に、自分は地元静岡のエコパアリーナ公演に参加する事が出来た。「GOLD GLIDER TOUR 2012」の時も同じエコパアリーナの公演に参加したが、その時と違うのは、バンプ仲間と参加できた事だった。友達の友達という関係性の人だったが、同じものが好きという点で仲良くならない訳がなかった。グッズ待機列も、開演前の時間も、ライブが終わった後も、とにかくその知り合いとバンプについて語り合ったのが懐かしい。

ライブ本編ももちろんずっと幸せな時間が続く内容だった。「RAY」の収録曲を中心に、前回のツアーでも導入された「恥ずかし島」で披露された「歩く幽霊」はここの場でしか聞けない特別なものとなったし、アンコールが4曲と、他の会場よりも大きく盛り上がるものとなった。余談だが、バンプの静岡公演は他の会場よりも特別な内容になる事が多い(DANNYの披露、他の会場より多いアンコール、次回以降に触れるチャマの誕生日関連など)ので、今後静岡でライブが開催される際は、ぜひチケットを抑える事をおススメする。

 

このライブと並行して、7月31日放送の「ミュージックステーション」において、バンプは初めての生放送での楽曲披露を行った。

もちろん自分も当日はテレビにかじりついて、バンプの出番を今か今かと待ちわびていた。自分の好きなバンドの地上波の音楽番組に初出演という状況に、とんでもない嬉しさと、ファン以外の視聴者にはどんな風に見られるのかというちょっとした不安も抱えていた。そしていよいよ来るバンプの番、その時のバンプは「虹を待つ人」と「RAY」の2曲を披露していた。自分がエコパアリーナで見た時と変わらない、いつも通りの演奏をしていた事にとても安心した。かつて「ブラウン管の向こう側から評価されたくない」と藤原基央は発言した事があった。その頃とは違い、ブラウン管からデジタルテレビへと世間は移行し、バンプも尖った楽曲からその時の最新のモードの楽曲を披露した。いちバンプファンとしては、ある意味ひとつの歴史的瞬間に立ち会う事が出来たのだと、一人勝手に感激していた。

 

2013年に引き続き、初の他アーティストとのコラボ、しかも初音ミクという実体のないアーティストとのコラボや「Mステ」への出演、今回の記事では触れなかったが、ドキュメンタリー映画の劇場公開や漫画「3月のライオン」とのコラボレーションなど、BUMP OF CHICKENは2014年も多くの挑戦を行った。今回こうして振り返ってみると、何だかんだバンプの活動をある程度楽しめていたんだと思えた。しかし、この翌年が、おそらく一番バンプとの距離が離れていた時期と言ってもいいかもしれない。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その6 アナログ人間をこじらせてた編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

この振り返りも2013年に突入したが、この辺りから少しずつバンプとの思い出が薄くなっていく。何故かというと、この年の頭からアイドルマスターにハマり、アイマスを中心に据えた生活を送るようになり、バンプを追いかけるのが二の次になっていたからだ。別の機会にアイマスとの思い出を振り返るかもしれないが、ここから2016年辺りまで、バンプと若干疎遠になる期間が続く事となる。

 

2013年4月、BUMP OF CHICKENにとって初めてのベストアルバムが7月に2枚同時リリースされる事が発表された。この頃の自分は、バンプのCDが発売されたら何も考えずに購入するレベルのファンの域にいて、このCDも「お金はないけどとりあえず買っておくか…」ぐらいの心持ちで購入したのを覚えている。また、当時のバンプは「BOC-AR」というARアプリケーションを公式から配信しており、スマホをCDのブックレットなどにかざすと、特別な演出が見られるようになっていた。今はもう配信を停止しているが、VRを含め拡張現実がより世間に知られるようになった2021年にこのアプリがあればもっと盛り上がるのでは、といちファンながら思う。つまりは、リニューアル配信を希望。

 

6月に新曲「虹を待つ人」が「ガッチャマン」の実写版映画の主題歌に起用される事が発表された。


BUMP OF CHICKEN「虹を待つ人」

7月には「SCHOOL OF LOCK!」で初オンエアされたが、これまでのバンプになかったエレクトロなサウンドとハイテンポなバスドラム、そしてサビでのコール&レスポンスと、バンプにとって新しすぎるその楽曲に、当時は強い戸惑いを感じた。今となってはライブで披露されれば大いに盛り上がれるし、自分にとっても好きな曲だが、これまでのバンプの楽曲のイメージとのギャップもあってか、少し着いていけないかも…と感じる所があった。

また、この「虹を待つ人」はバンプにとって初めての配信リリース楽曲でもあった。「配信リリース!?」と当時のリキ少年は驚愕した。まだまだ前時代を生きていた自分はダウンロード形式という実体のないものを購入する事に強く抵抗を覚えていたし、ましてやどうやって支払いをすればいいのか、クレジットカードなんてもってないし親にもこんな事頼めないぞ…と配信が開始された後もなかなか購入に踏み切れなかった。バンプの音源はほぼほぼ押さえている自分だが、この「虹を待つ人」のともう一つのある楽曲の配信音源だけは未だに手元にない。

そこから自分が配信の音源を購入するに至るまでには、2016年の「リボン」まで実に4年の期間を有する事となる。先ほどアイマスへの熱中がバンプと疎遠になった一つの理由と述べたが、このように配信リリースされる楽曲たちにすぐに触れられず、フィジカルでのリリースを待つようになったという壁が生じていたのも、自分とバンプとの間に距離が生まれた一因だったのかもしれない。

 

先述のベストアルバムの発売から一か月後の8月9日、バンプは千葉県のQVCマリンフィールドで発売記念のライブを行った。このライブはYouTubeで生中継され、遠い静岡の自宅からも画面を通してみる事が出来た。初のスタジアムでのライブだったこの公演、画面越しからもその規模感のすごさが伝わってきたし、この頃からライブで導入された「ザイロバンド」と呼ばれる自動で光るリストバンドによって光の海のように輝くスタジアムがとても印象に残っている。バンプはこのライブの後「WILLPOLIS」というタイトルのアリーナツアーを行ったが、まだまだライブのために遠征するという発想を持ち合わせていなかった自分は、大都市中心でしか開催されないツアーに悔しさばかりを募らせていった。

 

「WILLPOLIS」は10月下旬の日本武道館公演で千秋楽を迎えたが、そこでニューアルバムの「RAY」の発売が発表された。「COSMONAUT」以来約3年半振りのアルバム、少しずつバンプとの距離感を感じて自分にとってもこのニュースには胸が躍るものがあった。新しいアルバムへの期待を胸に、自分は2014年へと突入していった。

 

改めて振り返ると、2013年はBUMP OF CHICKENにとってひとつの変革期だったように思える。先述のベストアルバム発売という、これまでのバンドの歴史をひとつの形にまとめるという行為を行ったり、ARアプリの配信、楽曲の配信リリース、ライブでのザイロバンドの導入、ライブの生中継(と言っても、ライブがネット上で生中継されたのは今現在ベストアルバム発売記念ライブのみである)、上では触れられなかったが、メンバーもライブの序盤にナポレオンジャケットを羽織るなど、ビジュアル面でも、システム面でも新しい要素をどんどん取り入れていった。

楽曲面でも「虹を待つ人」を皮切りに、生音にこだわらないトラックの導入、ダンスミュージックの要素の取り入れなど、より表現の幅を広げていったのを肌感覚で感じていた。先ほどから何度もバンプと疎遠になり始めたと述べてきたが、このバンド自身の様々な変化を受け入れるのに、自分なりに少々時間がかかったというのもあるのかもしれないと振り返って強く感じた。

 

〈つづく〉

 

自分とBUMP OF CHICKEN その5 初めてのバンプのライブ編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

高校受験前の1月18日、BUMP OF CHICKENの22枚目のシングル「グッドラック」が発売された。


BUMP OF CHICKEN「グッドラック」

この曲は映画「ALWAYS 三丁目の夕日 '64」の主題歌でもあり、限定盤には30分ほどのショートムービーが収録されたDVDも付いてきた。見返すと染谷将太吉岡秀隆が出演している、なかなかに豪華な内容だった。また、CDの盤面や歌詞カードなどに映画とリンクした東京タワーや、まだ完成前だった東京スカイツリーがデザインされていて、それを見て東京という場所に憧れを抱いたというのが、東京の大学への進学を目指した理由のひとつとなっている気がした。

 

そしてもう一つ、このCDにはバンプにとって2008年以来4年振りとなるアリーナツアー「GOLD GLIDER TOUR 2012」の抽選応募券も付いていた。前回の記事で取り上げた「ゼロ」にもその前に行われたライブハウスツアー「GOOD GLIDER TOUR」の抽選応募券が付いていたのだが、一番近い所でも名古屋でのライブでしかなかった。まだバンドのライブに見に行くために遠征する、という発想が全くなかった自分は「GOOD GLIDER TOUR」で盛り上がっている様子を、「ROCKIN'ON JAPAN」などといった音楽雑誌のレポートを見て羨ましく思うだけに終わっていた。

今回の「GOLD GLIDER TOUR 2012」では、地元・静岡のエコパアリーナでもライブが開催される事が決まっていた。念願のバンプのライブに参加できるチャンス、どうか当たりますようにと念を込めながら自分はイープラスから申し込みを行った。

そして、当落発表当日、自分は震える手を何とか動かしてサイトを開いた。すると、「チケットをご用意いたしました」の文字が。バンプのファンになってから4年目、ついに自分は人生で始めてのライブ、しかも自分が一番好きなバンドのライブに参加する権利を得る事が出来たのだった。

 

高校入学から数か月、自分は中学から続けていた吹奏楽部に所属したり、クラスの委員決めで何故か応援団に所属する事になり、毎日厳しい指導を受けたりするなどの新生活特有の忙しい日々を過ごしていたが、そんな大変さもバンプのライブに行ける事を考えれば微塵も感じなかった。サイトにアップされるグッズの情報を見て、少ない所持金からどれを買うかをずっと悩んだり、過去のセットリストを見て今回のライブではどれを披露してくれるのか、自分がバンプにハマるきっかけとなった「カルマ」は果たして聴けるのか、などといった事を色々と考えていた。

もちろんライブに向けた準備も周到に行っていた。当日は部活の練習も入っていたが、家の用事があるというあからさまなウソを付いて休みを取っていたし、応援団の練習も、その一週間ぐらい前から足を痛めているという、こちらもバレバレなウソを付いて上手い事当日のしごきを回避するなどしていた。ライブにはどのような恰好で行けばいいのか、水分は持ち込めるかなど、本当に遠足に行く前日の子供みたいなムーブを一か月に渡って行っていた。それ程に、初めてのライブへの期待と興奮が止められなかったのだ。

 

そして、来る6月9日土曜日、「ロックの日」だなんて運命を感じるな…なんて思いながら自分は会場に足を運んだ。…親の車で送ってもらって。

恥ずかしい話だが、自宅から会場までは少し距離があり、電車賃を考えるとグッズをいくつか諦めなければいけない事に気付いた自分は、母親にほぼ泣きつきながら送迎をお願いしたのを覚えている。母親は快く承諾してくれたが、残念な事にその時取れたチケットは一枚だけで、ライブの開演中、ずっと母親を駐車場で待たせるという事態が発生してしまった。ライブの終演後、母親と合流した際、「外からの音が聞こえてそれなりに楽しかったよ」とは言ってくれたが、今となっては心から謝りたいくらいに申し訳ない事をしてしまったと反省している。

 

時を少し戻して開演前、自分は待望のグッズの購入に向かう事にした。会場のエコパアリーナはスタジアムが併設されており、そのスタジアムの外縁をぐるっと囲むようにその待機列は形成されていた。こんなに並ぶものなのか…とライブ初体験の自分はかなり面食らいながらも最後尾に着き、自分に順番が回ってくるのを今か今かと待ちわびていた。並び始めてから大体1時間くらいと結構な時間並んでいたが、それも特に退屈だと感じなかったのは、ひとえに同じように並んでいた観客から感じるワクワクを感じ取る事が出来たからであろう。同じバンドを好きな人たちで集まれる機会というものに、自分は喜びと興奮を感じていた。

そうこうしている内にやってきた自分の物販の番。自分はライブTのブルーとオレンジ、FFコラボのピンバッジ付のTシャツ、スティッチコラボのキーホルダー、パスケース、そしてスポーツタオルを2枚購入した。このタオルが人生で初めて「保存用」まで購入したものだった。

今振り返ると、ブルーとオレンジのTシャツはなかなかに攻めたチョイスだった。もちろんホワイトやブラックといった着回しやすいカラーのものもあったが、とにかく派手なやつが良い!というお子ちゃまみたいな発想でその色を購入した自分は、当時ファッションにも疎かったというのもあるが、とにかく至る所でそのTシャツを着倒していた。9年前の自分に言いたいのは、「もっと落ち着いた色の服を選べ」、ただそれだけだ。

 

無事にグッズも購入でき、いよいよ会場の時間が訪れた。自分が取ったチケットはアリーナ席の一番後ろのブロックだった。もちろんステージなんてとても遠くにあり、メンバーも米粒ぐらいにしか見えなかったが、そんな事ですらどうでも良いと思えるくらいに、ライブ会場という空間にいられる事にとにかくテンションが上がっていた。その頃のバンプの開演前のSEはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」で、この曲がクライマックスに近付くほどに会場全体の熱量も上がっていた。最後の方ではクラップも発生するくらいの盛り上がりを見せ、フィナーレを迎えた後、遂にその時が来た。

 

始めはムービーからだった。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」スペシャルMV

(↑この動画から、少しだけオープニングのムービーを見る事が出来る)

ファンタジーチックなその映像は、この会場をどこか現実とは違う空間へと誘っているように思えた。ムービーの中で主人公がグライダー型の金色の模型を手に入れ、それを投げた瞬間に視点がその模型へと移り変わり、様々な土地を滑空している様子が映し出されていった。そしてその模型が最後にこの会場へと辿り着き、煌めきを残して消えていくという演出に観客も拍手で応えていた。

すると突然、軽快なドラムのリズムが鳴り響いた。暗幕越しに、升秀夫がドラムを叩く様子が照明を使って大きく映し出される。そこからベースの直井由文、ギターの増川弘明とメンバーが続々とステージ上に現れ、ついにボーカル&ギターの藤原基央も登場し、ライブではお決まりのルーティンとなっている、ギターを片手で掲げる動作を行った時に観客のテンションはMAXとなり、会場全体を包み込むような歓声と拍手の波が起こった。そうして披露された1曲目が「三ツ星カルテット」だった。

オリジナルはアコースティックギターでの演奏だが、このライブではエレキギターを用いたロックテイストのアレンジで披露された。淡々とした歌唱部分と、荒々しさが全面に押し出されたアンサンブルのギャップもさることながら、めまぐるしく変わる照明にも、その全てに自分は心を鷲掴みにされた。これがライブというものなのか…、そんな感想を抱きながら、すぐさま次の曲、「宇宙飛行士への手紙」が始まった。

このライブ用に長めにアレンジされたスペーシーなサウンドのイントロから始まり、第2イントロに入ると同時に強い衝撃音と共に幕が上がった。ステージの方で銀テープが大きく舞い上がっているのが見える。アリーナの一番後ろにいた自分には到底その銀テが届くはずもないのだが、それでも前のアリーナの観客たちに劣らないくらいの興奮が沸き上がった。スクリーンにメンバーの姿がようやく映し出されたのだが、当時のベースの直井はロン毛で髪を細いバンドでまとめるという、ヒッピーに近い形のヘアスタイルをしていた。正直、変な髪形なんて思いながら、その時にしか鳴らせない音が次々に紡がれていく。

 

途中でMCが挟まれながら、「分別奮闘記」や「ゼロ」、「Stage of the ground」「友達の唄」と、「COSMONAUT」の曲を中心に最新曲やライブでの定番曲が次々に披露されていく。夢にまで見たバンプのライブは、まるで本当に夢の中にいるのではないかと思ってしまうくらいに、4人から奏でられる曲の数々に、ただただ心を奪われていた。

 

その後、「Smile」「友達の唄」を経て、「ハルジオン」が演奏された。これはライブあるあるだと思うのだが、それまで自分の中ではいまいちパッとしなかった曲が、ライブで聴いた際に一気に名曲だと気付く事がある。そして、このライブでは「ハルジオン」がまさしくそれに当てはまる曲だった。音源でもそのロック然とした格好良さは感じていたが、生で聴くとその鋭さが一段と際立って感じられた。ライブだからこその重低音が強いサウンドもあってか、ドラムの一音一音が自分の体を強く振動させた。

 

「ハルジオン」の後、メンバーはメインステージを離れ、「四方から見られて恥ずかしいから」という理由で「恥ずかし島」と名付けられたサブステージへと移動した。先ほどまで米粒ぐらいの大きさでしか見る事の出来なかったメンバーがより近くに来る。その事にテンションが上がった自分は柄にもなくメンバーの名前を呼んだりしていた。そして「恥ずかし島」での演奏が始まった。「車輪の唄」では観客の皆が思い思いに体を揺らし、「sailing day」では皆揃って腕を上へと掲げていた。一つの音楽を中心として、観客全員の心が一つとなる。そんなライブというものの素晴らしさをこの2曲を通して感じていた。

 

「恥ずかし島」での演奏を終え、メンバーはメインステージへと戻っていく。その途中でいきなり流れ始めた音楽。自分はすぐに「星の鳥」のあのメロディーだと気付く。そしてメインステージのスクリーンに映し出される、宇宙空間をバックの赤いデジタル表記の現在時刻。今この時間だけのライブであるという事を示す演出に観客全体が改めて息を呑み、メンバーの再登場を心待ちにしている。そして再びステージに現れた彼らが披露したのは「メーデー」。そう、「orbital period」の流れそのままの披露だった。会場のボルテージはこの曲で再び最高潮となり、自分がいた一番後ろのアリーナブロックでもサビでジャンプが起きていた。間奏のドラムソロやラスサビでの盛り上がりもそのままに、ライブは終盤へと差し掛かっていく。

 

「イノセント」「supernova」「beautiful glider」と、バンプの曲の中でも特にシリアスな曲が続く。バンプのライブでは恒例の「supernova」での合唱も、自分にとっては初体験の事だった。「ラララ」だけの極めてシンプルなメロディーが、この会場にいる全員によって奏でられる。その時のエコパアリーナは、きっとその日で一番大きな優しさに包まれていたといっても過言でないくらい、素晴らしい空間と化していた。

 

「beautiful glider」が終わり、バンプは再びギターを鳴らし始める。今まで聞いた事ない4人のアンサンブルはとても重く暗いものだったが、何故か引き付けるものがあり、次の曲を今か今かと待ちわびる自分たちの心を焚きつけるようだった。そして、自分が2009年のあの日からずっと聞き続けたあのイントロが掻き鳴らされる。「カルマ」が、ついに来た。

一番好きな曲にテンションのゲージが振り切れてしまった自分はその日一番の大声を上げてその曲を迎え入れた。そして3分半という一瞬を、とにかく全力で味わおうとした。今となっては周りのお客さんに全力で謝りたいのだが、興奮のあまり、サビを熱唱してしまったりもした。大迷惑でしかない行動も取ってしまうくらいに、その日一番の熱狂に一人包まれていた。

そして最後の曲、「天体観測」の時間がやってきた。誰もが知っているバンプのアンセムに高まった観客が皆一様に掛け声を上げ、腕を振り回していた。そして、サビ終わりのあの「オーイエ―アハーン」も全員で歌い、本編は幕を閉じた。

 

興奮冷めやらぬ観客は、アンコールの催促として「supernova」のサビを歌い始める。初めてのバンプのライブだった自分は、こういうものなのかと思いながら、その合唱の輪に加わった。広い会場ゆえに所々で合唱にズレが生じていくのだが、それもまたひとつの要素として見事に機能していた。観客がひたすら手を左右に振りながら合唱を続けていると、ステージが明るくなり、メンバーが再び自分たちの前に現れた。アンコールの時間だ。

 

ステージに現れたメンバーはすぐさま「K」を演奏し始めた。バンプの中でも屈指の人気を誇るこの曲のサプライズ的な披露に会場も思わずどよめいていた。「K」の演奏が終わり、グッズ紹介やメンバーの感想などといったMCを経て最後の一曲として「ガラスのブルース」が披露された。バンプの始まりの曲、自分は震災の際にラジオで披露された弾き語りの事も思い出しながら、もうすぐ終わってしまうこの瞬間に思いを馳せていた。そして間奏に入ると同時に藤原基央の口から発せられる「ギター、増川弘明!」の一言。ラスサビ前の大合唱を含め、このライブがかけがえのないものへとなっていくのが、自分の中でも感じられた。

ガラスのブルース」の演奏が終わり、楽器を置くメンバーたち、観客もこの時間が終わってほしくないのか、それぞれがメンバーへと歓声を送っている。すると、「もう一曲やっていい?」という藤原基央の声が。観客は再び熱気を起こして、その提案を受け入れた。そして披露されたのが、あの「DANNY」だった。

 

バンプの隠しトラックの中でも特に人気を誇る楽曲であり、ライブでも千秋楽や、ごくごく稀にしか演奏されないこの曲。自分は、存在こそは認知していたものの、聞いた事はなかったため、けたたましいサウンドと、バンプ唯一の全編英語の歌詞に、とにかく流れのまま付いていくしかなかったのを覚えている。自分が生で聴けた「DANNY」はこのライブのみで、以降のバンプのライブに参加する時も、「DANNY」をもう一度聴く事が出来ないかという期待を抱いてしまっている。自分にとっての初めてのバンプのライブは、それまでの興奮と喜びを噛みしめつつ、「DANNY」に呆気にとられたままの自分を残したまま、こうして終わっていった。

 

終演後、ぞろぞろとそれぞれの家路に着く観客たち。自分はライブの興奮そのままに、当時まだ手に入れていなかった「天体観測」のCDを物販で購入し、母親の車で送られながら、「天体観測」と「バイバイサンキュー」の2曲を、ひたすらリピートしていた。

 

ここまで長々と初のバンプのライブのレポートを書き連ねてきたが、やはり「最初」という付加価値もあってか、このライブに関しては今でもハッキリと思い出せる場面が多々あり、それこそ、それら全ての思い出が金色に輝いているように感じられる。

後にこのツアーの代々木第一体育館での様子を収めた映像作品も発売され、自分はすぐさま手に入れ、何度も見返していた。特に、「ガラスのブルース」に関しては、この映像作品でしか体験する事の出来ない、貴重なテイクが収録されているので、興味のある人には是非とも見てほしい。

 

こうして人生初のバンプのライブを経験した自分は、夏の「firefly」の発売などを経て、2013年へと突入していくのであった。

 

〈つづく〉

 

自分とBUMP OF CHICKEN その4 「FF零式」は未プレイです編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

3・11から数か月、日本も少しずつだが震災のダメージから回復しつつあった頃、チャリティシングルとして、「Smile」というタイトルのCDが発売される事が決定した。


BUMP OF CHICKEN「Smile」

 ※上記リンクはのちにバンドアレンジされたバージョン。

Softbankの震災復興のCMとして使用されたこの曲だが、「Smile」一曲のみの収録というバンプ史上初めての試みがなされたCDでもあったが、当時の自分はまだお小遣い制だったため、そのCDも買う余裕が作れなかった。そのため、ありきたりな話だが家の手伝いをしたからとか、何々を我慢したから、みたいな何かしらの難癖を付けて「Smile」のCDを買ってもらう事にした。「チャリティシングルを他人に買ってもらうってどうなの」と母親にCDを購入してもらう際に言われたが、本当に、復興に貢献する心は一切ないのかと、当時の自分に問い詰めたくなる。

 

2011年は震災の起きた年としても大変な一年だったが、自分にとっては中学生活最後の一年というのもあった。受験はもちろん、体育祭や合唱コンクールなどといった催しもの全てに「最後の」という接頭語が付いて回ってくる一年だ。吹奏楽部にも所属していた自分は、学業とそれ以外の様々なイベントに追われる一年を過ごしていた。

そんな生活を送る中で、バンプの新曲「ゼロ」が「ファイナルファンタジー零式」のテーマソングとして決定したというニュースが舞い込んできた。


BUMP OF CHICKEN「ゼロ」

当時はまだ自分のケータイを持っていなかったので、母親のガラケーを借りて、まだ黒地に白の、まるでアングラサイトみたいな雰囲気を醸し出していたモバイルサイトにアクセスしてその情報を目にしたのを覚えている。ゲーム自体は好きだったが、ドラクエやFFといったRPGにはそれほど興味を持たなかった当時の自分は、「カルマ」以来のゲームとのタイアップだな、くらいにしか思わなかった。しかし、「ゼロ」の発売が自分にとってとても貴重な体験となる事は、まだ知る由もなかったのである。

「ゼロ」の発売がアナウンスされてから数週間後、「FF零式」の発売が延期になったのと合わせて、「ゼロ」のCDも10月19日と発売が延期となったのだ。この10月19日という日、実は自分の誕生日だったのだ。自分の人生の記念日と、自分の好きなバンドの新譜の発売が重なるなんて事は、生きている間でもそうそう起こる事ではない。どこか運命的なものも感じながら、「今年の誕生日はきっと良い日になるに違いない」なんて考えながら来る発売日を指折り数えて待っていた。

 

しかし、この年の誕生日は、とにかく最悪の一年だった。「誕生日だから良い日になるに違いない」と、自分の中で期待値を上げてしまっていたのもあったのだろうが、何故かいつもより授業で問題を上手く答えられなかったとか、部活でいつも以上に先生からのダメだしを受けたとか、友達ともちょっとした言い合いになったりなど、とにかく不運続きで元々そんなに強くないメンタルがどんどん削られていった。

極めつけは帰宅してからだった。我が家では誕生日には外食するという決まりがあったのだが、その日に限って親の仕事が長引き元々予定していたお店に行く事が出来ず、慌てて入った店も、それほど美味しくない所だったりと、その日のほぼ最後まで災難続きだった。まだまだ精神面は小学生並みだった自分は、「こんなにツイてない誕生日があってたまるかよ…」と、もう少しで泣いてしまうくらいに意気消沈していた。

 

それでも、今年の誕生日がまだ良い日だったと思えたのは、やはり「ゼロ」の存在があったからだった。その日の行程の一番最後にCDショップによって「ゼロ」を購入し、速攻でカーステレオにディスクを差し込み、収録曲を聞いた。「ゼロ」もバンドバージョンの「Smile」のどちらもバラードだったため、色んな意味で傷ついていた自分の心にとても深く染み入ったのを覚えている。

こうして2011年の誕生日は、何とかバンプのおかげで良い日にする事が出来たのであった。

 

時は進んで11月、この頃は11月末に控えている合唱コンクールの練習でてんやわんやしていた。自分は男子のまとめ役のような事をやっていて、練習場所をセッティングしたり、練習で使うラジカセなどの機材の準備などを担っていた。

また、その頃の自分は少しずつバンプのCDを集めだしていた時期だったというのもあり、CDを一枚手に入れる度に学校に持っていき、給食の時間に流してもらうよう放送室まで駆け込むという行いをしていた。

そんなラジカセの管理係とCDの持ち込みが重なったため、合唱コンクールの練習が終わった後にそのままバンプのCDをかけるという、今でいう「布教」のような事をしていた。色んな曲をクラスの人たちに聞いてもらったが、その中でも一番流行ったのは「ゼロ」の隠しトラックである「新鮮・お野菜王国の伝説のテーマ」だった。クラスの男子で集まって、「パスター!パスター!」と歌う様子は、今思い返すととても奇妙でしかない、担任の先生も、変な顔をしていたのを覚えている。ちなみに、その年の合唱コンクールは見事うちのクラスが「蒼鷺」で優勝をかっさらった。

 

もう少しで最悪の一日になる所だった誕生日や合唱コンクールなどを経て2011年を終えた自分は、翌年の高校受験も何とか志望校に進む事が出来、高校生活をスタートする事となった。そして、自分にとってとても重要な、初めてのバンプのライブに参加した2012年に突入する事となるのだった。 

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その3 10年前のあのとき編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

※文中に東日本大震災に関する記載があるので、トラウマを感じる方や、読むのを避けたいという方はブラウザバックをお勧めします。

 

「宇宙飛行への手紙」と「BUMP LOCKS!」、そして「COSMONAUT」のリリースを経てよりバンプへとハマっていったリキ少年。この辺りからバンプの既存のリリース作品に興味を持つようになり、近所のTSUTAYAとGEOでバンプのCDをよく借りるようになった。そしてこの頃からバンプの情報を公式のHPやファンサイト、その他様々な媒体を通して集めるようになり、バンプファンであれば周知の「隠しトラック」の存在もようやく認知した。バンプのCDには通常のA面・B面の楽曲の他におまけのような曲が入っていて、通常の楽曲とは違う、メンバーの遊び心が存分に盛り込まれたトラックを楽しめるようになっている。CDケースの右側のケースを上手い事外すと隠しトラックの歌詞カードが確認できるようにもなっていて、レンタルしたCDのケースを壊さないよう慎重に確認していた自分は、この行為が特技といえるくらいに得意になった。

また、この時期からそれまで使えなかったパソコンを触らせてもらえるようになったのと、iPodを手に入れていたというのも大きかった。「SCHOOL OF LOCK!」から人気のアーティストやバンドの情報を得て、レンタルショップでCDを借り、パソコンに音源を取り込むという行為を、少なかったおこづかいを上手くやりくりして繰り返していった。この頃には自分がバンプに次いで好きなバンドである「Galileo Galilei」の存在も知る事になるなど、今の自分へと続く「好きな音楽」の根幹が形成されていった時期だった。

 

2011年に起きた出来事として、誰にとっても無視できないのが、3・11の大震災である。

地震が発生したその時、自分たちはちょうど剣道部や柔道部が練習を行う、小さめの体育館のような所で学年集会を行っていた。経験した事のないような長く、そして大きな揺れに周りがザワザワし始めながら、とりあえず会を終えて教室へと皆が戻ろうとした時、東北の方で今までにない大きさの地震が発生したという情報が入ってきた。生徒も先生も皆が慌ただしくしている中、自分はクラスの連絡帳を提出しに職員室へと足を運んだのだが、その時職員室のテレビに映し出されていた、乗用車がまるで浴室に浮かぶミニカーのように津波に流されていく映像を、もうすぐ10年経とうとしている今でもはっきりと覚えている。

その後は日本国民全員が経験したように、テレビがひたすら現地の様子とACのCMを交互に流し続けるという日々を過ごした。

 

テレビ番組がずっと報道番組を放送し続けていたように、ラジオ番組も、特に情報を取得するためのメディアとして、日夜災害情報を流していた。数々のテレビ・ラジオ番組が放送休止を余儀なくされる中、「SCHOOL OF LOCK!」も休止になる事が続き、「BUMP LOCKS!」も2週分放送休止という形を取る事となった。幸いにも我が家は親戚を含め被害をほとんど受けずにいたが、それでも様々媒体から流れてくる情報に、不安を抱かずにはいられなかった。その間はとにかくバンプを中心に音楽をひたすら聴き続けていたのを覚えている。

震災発生後から数週間後の3月28日、3週間振りの「BUMP LOCKS!」が放送される事となった。いつもならばメンバーが4人揃って放送を担当しているが、その日はボーカルの藤原基央が一人で放送に臨んでいた。そして、リスナーへのメッセージを送った後、「ガラスのブルース」の弾き語りを届けてくれた。

バンプファンの間ではおなじみだが、藤原基央はライブ中、曲の歌詞を即興で変える事がある。この時も、藤原基央はこの瞬間だけの歌詞を届けてくれた。

分けられない痛みを抱いて 過去にできない記憶を抱いて

でも心はなくならないで 君は今を生きてる

 藤原基央は、弾き語りをする前のトークで、「こういう時に音楽っていうのは本当に役に立たなくて」と述べていた。しかし、少なくとも、不安に煽られそうな心を保つためにバンプや他のアーティストの曲を聴き続けていた自分にとっては、音楽があって良かったと思ったし、この歌詞に大いに救ってもらったと断言できる。

 

2010年の10月から翌年の3月までの期間限定の放送だった「BUMP LOCKS!」はこの弾き語りの回をもって放送終了となった。出来れば休止となった分も含め、もっと放送を聞きたかったという気持ちも当時はあったが、今となっては、藤原基央を含めメンバーも大変な状況に見舞われている中、こうして時間を作って、自分たちリスナーに真摯に向き合って音楽を届けてくれた事に、ただただ感謝したいと、心から思う。

BUMP OF CHICKENはこの後、チャリティシングルとして「Smile」をリリースする事になるが、この事については次回の記事で振り返りたいと思う。

 

〈つづく〉

 

〇歌詞引用元

…「BUMP LOCKS!」2011年3月28日放送分 放送後記より

www.tfm.co.jp

 

自分とBUMP OF CHICKEN その2 「SCHOOL OF LOCK!」はとーやま校長とやしろ教頭の頃のリスナーでした編

 ※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

2009年、給食中の学校と友達の家の計2か所において、「カルマ」およびBUMP OF CHICKENとの運命的な出会いを果たした中学生のリキ少年。

そこから約1年の間、バンプは「R.I.P./Merry Christmas」や「魔法の料理 ~君から君へ~」、「HAPPY」のリリースなどを行っていたが、自分はそれらの活動にさほど強い興味を持たなかった。NHKの「みんなのうた」で「魔法の料理」が流れているのを聞いたり、朝の情報番組でシークレットライブを行ったというニュースを眺めたりするくらいで済ませてしまっていたのを覚えている。

 

「『カルマ』という曲が好きなバンド」どまりだったバンプに、もう一段階ハマるきっかけとなったのが、2010年の9月から10月にかけての「宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル」のリリースだった。


BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙』

どこからか入ってきたニュースだったかはよく覚えていないが、ある日自分の元に「バンプ新曲『宇宙飛行士への手紙』今夜ラジオで初OA」という情報が入ってきた。何よりも「新曲を発売日よりも前にフルサイズで聴ける」という事に胸が躍ったのを覚えている。思い返せば先述の「R.I.P./Merry Christmas」から「HAPPY」までのリリースに関しては、気付いたら既にリリースされていたという事もあり、リリースの盛り上がりの波に乗れなかったのもあったのかもしれない。とにかく、「初OA」という響きにワクワクした自分は、「orbital period」を再生した例のラジカセを再び引っ張り出して、来る9月14日の放送に備えていた。

 

「宇宙飛行士への手紙」の初OA当日、自分は地元・静岡のラジオ局であるK-MIXにチューニングを合わせて、「SCHOOL OF LOCK!」を聞き始めた。まだ夜も深い時間帯のラジオ番組のノリに疎かった当時の自分は、番組の冒頭から流れるあのギターソロや、「校長」や「教頭」とか「学校」といったワードが飛び交うOPトークにかなり戸惑いながらも、ようやく「宇宙飛行士への手紙」のOAまでこぎ着ける事が出来た。ラジカセから流れてくる「宇宙飛行士への手紙」は、決して良い音質とは言えない環境ながらも、そのサウンドはそのまま自分を宇宙まで連れて行ってくれるような、とても広がりのあるものだった。また、今でこそ「四つ打ち」という言葉で理解できるが、この曲のテンポのリズミカルさも、当時の自分にとってはとても衝撃的なものだったのを今でも覚えている。

 

「宇宙飛行士への手紙」の余韻に浸りながら続けて番組を聞いていると、「BUMP LOCKS!」という、バンプのメンバーがパーソナリティーを務めるコーナーの期間限定での復活がアナウンスされた。これは聞かない訳にはいかない…!と思い、そこから自分の「SCHOOL OF LOCK!」を聴く生活が始まった。バンプといえばbayfmで放送されている「PONTSUKA」という名前のレギュラー番組があるが、当時ネットを利用する手段をほぼ持っておらず、静岡県西部という、千葉県の電波が入ってくるはずもない所に住んでいたあの頃の自分にとっては、「バンプのラジオ」といえば「BUMP LOCKS!」だったのである。

今でこそ深夜ラジオを当たり前のようにリアタイする生活を送っているが、この「ラジオ番組を聴く」という習慣も、この「宇宙飛行士への手紙」のOAがなければ身に付かなかったかもしれないと、改めてバンプと「SCHOOL OF LOCK!」という番組に感謝したくなる。また、「SOLを聴く=J-POPや邦楽ロックにハマる」という流れにそのまま乗っかっていった自分は、この番組を通して当時2枚のミニアルバムをリリースしていたBase Ball Bearや、「天使と悪魔」をリリースしていた頃の世界の終わり(まだSEKAI NO OWARI表記じゃなかった)といった数々のバンドを知るようになった。今ならネットで古今東西様々なバンドやアーティストの情報を知る事が出来る環境にいるが、ラジオから人気バンド・急上昇グループを知るという体験は、本当に貴重なものだったと振り返って思う。

 

そんなこんなでSOLおよびBUMP LOCKS!を聴くようになった自分に、バンプのニューアルバム発売決定の情報が入ってきた。明確にバンプを好きになってから初めて発売されるアルバムに心が弾まない訳がなく、すぐさまGEOに駆け込んで(近所で一番近い新品のCDを扱ってるショップがGEOだった)、生まれて初めてCDを予約した。

そこからは次々とアナウンスされる新情報にワクワクを膨らませながら、指折り数えてアルバムの発売日を待つ日々が続いた。「COSMONAUT」というタイトルに宇宙飛行士は英語でそんな言い方もあるんだ…と思ったり、アルバムの収録曲の一覧が出た時には、それぞれがどんな曲なのか、懸命に想像を膨らませていたりもした。中でも初めてCDジャケットの画像を見た時の衝撃は半端なかった。宇宙服のヘルメットを持つ様子がデカデカと写っているそのジャケットは、今でも形容しがたい不思議さを感じさせてくれる。

 

そして12月15日、いよいよバンプのニューアルバム「COSMONAUT」が発売された。


BUMP OF CHICKEN「三ツ星カルテット」

今までCDはほとんどレンタルで済ませていた自分にとって、遂にバンプのCDを自分で所持するようになったリキ少年は、我が家の車に乗る機会がある度にCDを持ち込んでひたすら流していた。乗る度にアルバムの頭から再生するため、特に上の「三ツ星カルテット」のアコギのイントロはとにかく何十回と聴いていた。今でも、冬の寒空の下、カーステレオから流れるこの曲のイントロは、車窓から眺めた景色と一緒に記憶に強く焼き付いている。

また、今思い返すと「COSMONAUT」というアルバムのそのシンプルさも、自分にピッタリと刺さったのかもしれない。前作の「orbital period」は絵本と一体となったブックレットであったり、次作の「RAY」はARが使える歌詞カードなど、アルバムに対する仕掛けが色々と施されていたが、「COSMONAUT」に関しては、CDと比較的凝っていない歌詞カードのみと、とてもシンプルな作りこみだった。それゆえ、より曲に集中する事が出来たのかもしれない。

こういった経緯もあって、「COSMONAUT」はかなり思い入れの深いアルバムとなったし、一番好きなバンプのアルバムは?と聞かれたら、迷わずこのアルバムを挙げるくらいには好きなCDとなった。自分にとっての2010年は、「カルマ」の荒々しいカッコよさ以外の、BUMP OF CHICKENの更なる魅力を知る事の出来た一年だった。

 

こうして「宇宙飛行士への手紙」および「COSMONAUT」の存在によって、よりバンプにハマっていったリキ少年は、アルバムを何度も通して聞きながら、2011年へと突入していくのであった。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その1 二回の出会い編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

それは、2009年の春から夏にかけての頃の事だった。

 

自分が通っていた中学校では、給食の時間に放送部がお昼の放送なるものを行っていて、放送室に流してほしいCDを持っていけば、委員の人がかけてくれる、というシステムがあった。その日も、誰かが持ってきたCDが流れていた。

そして、その中で自分の耳に届いたのが、BUMP OF CHICKENの「カルマ」だった。


BUMP OF CHICKEN『カルマ』

「天体観測」やその他の人気曲をそれ以前に聞いていたとも思うが、自分が記憶している限りでは、この給食中に聞いた「カルマ」が自分とバンプとの初めての出会いだった。

 

当時中学生だった自分は、多感なお年頃だったし、若干中二病のような部分もあったのだろう、とにかく、そのサウンドのカッコよさに強く惹かれた。荒々しく鳴り響くギター。ハイテンポで刻まれるドラム。そして、耳に突き刺さる特徴的なボーカル。「カルマ」はバンプの曲の中でも3分半と比較的演奏時間が短い方の曲だが、その短さでも自分の心を掴むには十分だった。

 

しかし、ここで問題があった。放送委員は渡されたCDをただ流すだけなので、この曲が何という名前のアーティストの、何という名前の曲なのかといったアナウンスは一切してくれないのである。当時はまだShazamといった便利なアプリも存在していなかったし、そもそも学校にケータイを持ってくるなんてもっての他だった。それゆえ、その時の自分は、給食中に流れていた曲がただただカッコよかった、という感想を抱えただけで1度目の邂逅を終えていった。

 

自分とバンプの出会いを決定的にした2度目の邂逅は、ある友人の家で起きた。当時仲が良く、よく家に遊びにいっていた大柄の友達がいた(余談だが、その友達の家が裕福だったのもあって、お古のPSPを安く譲ってくれたり、やらなくなったソフトをくれたりと、色んな面でお世話になった)。その日もその友達の家に遊びにいって、友達がゲームをプレイしているのを漫画を読みながら眺めていたりした。すると、あの時カッコいいと思った曲がテレビ画面から流れ出してきた。そう、「テイルズオブジアビス」である。友達が「テイルズオブジアビス」のオープニングを流しているのに思わず反応して、友達に「これ、何て曲?」と気付いたら聞いていた。すると友達が、「BUMP OF CHICKENの「カルマ」って曲だよ」と教えてくれた。ついに、自分はバンプという名前にたどり着く事が出来たのである。

 

こうして思い返すと、この時この友達が「テイルズオブジアビス」をプレイしていなかったら、自分とバンプの出会いはもっと先の事になっていたかもしれないし、下手すると一生出会えないまま人生を終えていたかもしれない。そう思うと、この友達には感謝してもしきれない

ちなみに、「テイルズオブジアビス」は自分でも買ってプレイした。物語の重要な戦闘で流れる「カルマ」のオーケストラアレンジが最高にカッコよかったのも懐かしい思い出。

 

こうして「BUMP OF CHICKEN」と「カルマ」という二つのキーワードを手に入れた自分は、友達の家から帰った後、母親のケータイを借りて(今考えるととんでもない事だが、当時の我が家にはネット回線が存在せず、インターネットを利用する数少ない手段が、母親のケータイを借りてブラウザにアクセスする事だった)、バンプについて検索し、件の「カルマ」という曲がどのCDに入っているかを調べた。そうして辿り着いたのが「Orbital Period」だった。

 

母親に付き添ってもらい近所のレンタルショップで「Orbital Period」を借り、家にあったラジカセで(これも今考えると恐ろしい話だが、当時家にあったパソコンを触らせてもらえず、音楽プレーヤーも持っていなかった自分が音楽を聴く手段といえば、ラジカセでCDを再生するか、カセットテープ(!!)で録音したものを聞くくらいだった)CDをかけた。当時印象的だったのがCDに付いてきたブックレットだ。「Orbital Period」には「星の鳥」というタイトルの、実質絵本のようなブックレットが付いていて、絵本のストーリーに沿ってそれぞれの曲の歌詞が載っている、という形式だった。今でこそバンプの曲は満遍なく聴くようになってはいるが、カッコいいを求めていた当時の自分は、ひたすら「カルマ」をリピートして、他の曲にはほとんど目もくれなかったし、先述の絵本風のブックレットも流し読みしていた。ただ、当時CDをレンタルするという事をほとんどしてこなかった自分にとっては、アルバムを借りて聞くというのはとても新鮮な体験であったし、「星の鳥 reprise」という、「カルマ」の前奏曲のようなインスト曲も入っていて、「カルマ」という曲の世界がより広がったように感じられた。

 

こうして、自分とバンプの出会いは生まれ、今日へと続く自分とバンプとの関係性のきっかけとなった。しかし、出会ってすぐドハマりした、という訳でもなく、バンプの他のアルバムに手を出してみたりなんて事もその時はまだしないままで過ごしていた。

 

自分がバンプを本格的に聞くようになるのは、翌年2010年の9月の出来事が事の発端となる。

 

〈つづく〉