自分とBUMP OF CHICKEN その4 「FF零式」は未プレイです編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

3・11から数か月、日本も少しずつだが震災のダメージから回復しつつあった頃、チャリティシングルとして、「Smile」というタイトルのCDが発売される事が決定した。


BUMP OF CHICKEN「Smile」

 ※上記リンクはのちにバンドアレンジされたバージョン。

Softbankの震災復興のCMとして使用されたこの曲だが、「Smile」一曲のみの収録というバンプ史上初めての試みがなされたCDでもあったが、当時の自分はまだお小遣い制だったため、そのCDも買う余裕が作れなかった。そのため、ありきたりな話だが家の手伝いをしたからとか、何々を我慢したから、みたいな何かしらの難癖を付けて「Smile」のCDを買ってもらう事にした。「チャリティシングルを他人に買ってもらうってどうなの」と母親にCDを購入してもらう際に言われたが、本当に、復興に貢献する心は一切ないのかと、当時の自分に問い詰めたくなる。

 

2011年は震災の起きた年としても大変な一年だったが、自分にとっては中学生活最後の一年というのもあった。受験はもちろん、体育祭や合唱コンクールなどといった催しもの全てに「最後の」という接頭語が付いて回ってくる一年だ。吹奏楽部にも所属していた自分は、学業とそれ以外の様々なイベントに追われる一年を過ごしていた。

そんな生活を送る中で、バンプの新曲「ゼロ」が「ファイナルファンタジー零式」のテーマソングとして決定したというニュースが舞い込んできた。


BUMP OF CHICKEN「ゼロ」

当時はまだ自分のケータイを持っていなかったので、母親のガラケーを借りて、まだ黒地に白の、まるでアングラサイトみたいな雰囲気を醸し出していたモバイルサイトにアクセスしてその情報を目にしたのを覚えている。ゲーム自体は好きだったが、ドラクエやFFといったRPGにはそれほど興味を持たなかった当時の自分は、「カルマ」以来のゲームとのタイアップだな、くらいにしか思わなかった。しかし、「ゼロ」の発売が自分にとってとても貴重な体験となる事は、まだ知る由もなかったのである。

「ゼロ」の発売がアナウンスされてから数週間後、「FF零式」の発売が延期になったのと合わせて、「ゼロ」のCDも10月19日と発売が延期となったのだ。この10月19日という日、実は自分の誕生日だったのだ。自分の人生の記念日と、自分の好きなバンドの新譜の発売が重なるなんて事は、生きている間でもそうそう起こる事ではない。どこか運命的なものも感じながら、「今年の誕生日はきっと良い日になるに違いない」なんて考えながら来る発売日を指折り数えて待っていた。

 

しかし、この年の誕生日は、とにかく最悪の一年だった。「誕生日だから良い日になるに違いない」と、自分の中で期待値を上げてしまっていたのもあったのだろうが、何故かいつもより授業で問題を上手く答えられなかったとか、部活でいつも以上に先生からのダメだしを受けたとか、友達ともちょっとした言い合いになったりなど、とにかく不運続きで元々そんなに強くないメンタルがどんどん削られていった。

極めつけは帰宅してからだった。我が家では誕生日には外食するという決まりがあったのだが、その日に限って親の仕事が長引き元々予定していたお店に行く事が出来ず、慌てて入った店も、それほど美味しくない所だったりと、その日のほぼ最後まで災難続きだった。まだまだ精神面は小学生並みだった自分は、「こんなにツイてない誕生日があってたまるかよ…」と、もう少しで泣いてしまうくらいに意気消沈していた。

 

それでも、今年の誕生日がまだ良い日だったと思えたのは、やはり「ゼロ」の存在があったからだった。その日の行程の一番最後にCDショップによって「ゼロ」を購入し、速攻でカーステレオにディスクを差し込み、収録曲を聞いた。「ゼロ」もバンドバージョンの「Smile」のどちらもバラードだったため、色んな意味で傷ついていた自分の心にとても深く染み入ったのを覚えている。

こうして2011年の誕生日は、何とかバンプのおかげで良い日にする事が出来たのであった。

 

時は進んで11月、この頃は11月末に控えている合唱コンクールの練習でてんやわんやしていた。自分は男子のまとめ役のような事をやっていて、練習場所をセッティングしたり、練習で使うラジカセなどの機材の準備などを担っていた。

また、その頃の自分は少しずつバンプのCDを集めだしていた時期だったというのもあり、CDを一枚手に入れる度に学校に持っていき、給食の時間に流してもらうよう放送室まで駆け込むという行いをしていた。

そんなラジカセの管理係とCDの持ち込みが重なったため、合唱コンクールの練習が終わった後にそのままバンプのCDをかけるという、今でいう「布教」のような事をしていた。色んな曲をクラスの人たちに聞いてもらったが、その中でも一番流行ったのは「ゼロ」の隠しトラックである「新鮮・お野菜王国の伝説のテーマ」だった。クラスの男子で集まって、「パスター!パスター!」と歌う様子は、今思い返すととても奇妙でしかない、担任の先生も、変な顔をしていたのを覚えている。ちなみに、その年の合唱コンクールは見事うちのクラスが「蒼鷺」で優勝をかっさらった。

 

もう少しで最悪の一日になる所だった誕生日や合唱コンクールなどを経て2011年を終えた自分は、翌年の高校受験も何とか志望校に進む事が出来、高校生活をスタートする事となった。そして、自分にとってとても重要な、初めてのバンプのライブに参加した2012年に突入する事となるのだった。 

 

〈つづく〉