自分とBUMP OF CHICKEN その3 10年前のあのとき編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

※文中に東日本大震災に関する記載があるので、トラウマを感じる方や、読むのを避けたいという方はブラウザバックをお勧めします。

 

「宇宙飛行への手紙」と「BUMP LOCKS!」、そして「COSMONAUT」のリリースを経てよりバンプへとハマっていったリキ少年。この辺りからバンプの既存のリリース作品に興味を持つようになり、近所のTSUTAYAとGEOでバンプのCDをよく借りるようになった。そしてこの頃からバンプの情報を公式のHPやファンサイト、その他様々な媒体を通して集めるようになり、バンプファンであれば周知の「隠しトラック」の存在もようやく認知した。バンプのCDには通常のA面・B面の楽曲の他におまけのような曲が入っていて、通常の楽曲とは違う、メンバーの遊び心が存分に盛り込まれたトラックを楽しめるようになっている。CDケースの右側のケースを上手い事外すと隠しトラックの歌詞カードが確認できるようにもなっていて、レンタルしたCDのケースを壊さないよう慎重に確認していた自分は、この行為が特技といえるくらいに得意になった。

また、この時期からそれまで使えなかったパソコンを触らせてもらえるようになったのと、iPodを手に入れていたというのも大きかった。「SCHOOL OF LOCK!」から人気のアーティストやバンドの情報を得て、レンタルショップでCDを借り、パソコンに音源を取り込むという行為を、少なかったおこづかいを上手くやりくりして繰り返していった。この頃には自分がバンプに次いで好きなバンドである「Galileo Galilei」の存在も知る事になるなど、今の自分へと続く「好きな音楽」の根幹が形成されていった時期だった。

 

2011年に起きた出来事として、誰にとっても無視できないのが、3・11の大震災である。

地震が発生したその時、自分たちはちょうど剣道部や柔道部が練習を行う、小さめの体育館のような所で学年集会を行っていた。経験した事のないような長く、そして大きな揺れに周りがザワザワし始めながら、とりあえず会を終えて教室へと皆が戻ろうとした時、東北の方で今までにない大きさの地震が発生したという情報が入ってきた。生徒も先生も皆が慌ただしくしている中、自分はクラスの連絡帳を提出しに職員室へと足を運んだのだが、その時職員室のテレビに映し出されていた、乗用車がまるで浴室に浮かぶミニカーのように津波に流されていく映像を、もうすぐ10年経とうとしている今でもはっきりと覚えている。

その後は日本国民全員が経験したように、テレビがひたすら現地の様子とACのCMを交互に流し続けるという日々を過ごした。

 

テレビ番組がずっと報道番組を放送し続けていたように、ラジオ番組も、特に情報を取得するためのメディアとして、日夜災害情報を流していた。数々のテレビ・ラジオ番組が放送休止を余儀なくされる中、「SCHOOL OF LOCK!」も休止になる事が続き、「BUMP LOCKS!」も2週分放送休止という形を取る事となった。幸いにも我が家は親戚を含め被害をほとんど受けずにいたが、それでも様々媒体から流れてくる情報に、不安を抱かずにはいられなかった。その間はとにかくバンプを中心に音楽をひたすら聴き続けていたのを覚えている。

震災発生後から数週間後の3月28日、3週間振りの「BUMP LOCKS!」が放送される事となった。いつもならばメンバーが4人揃って放送を担当しているが、その日はボーカルの藤原基央が一人で放送に臨んでいた。そして、リスナーへのメッセージを送った後、「ガラスのブルース」の弾き語りを届けてくれた。

バンプファンの間ではおなじみだが、藤原基央はライブ中、曲の歌詞を即興で変える事がある。この時も、藤原基央はこの瞬間だけの歌詞を届けてくれた。

分けられない痛みを抱いて 過去にできない記憶を抱いて

でも心はなくならないで 君は今を生きてる

 藤原基央は、弾き語りをする前のトークで、「こういう時に音楽っていうのは本当に役に立たなくて」と述べていた。しかし、少なくとも、不安に煽られそうな心を保つためにバンプや他のアーティストの曲を聴き続けていた自分にとっては、音楽があって良かったと思ったし、この歌詞に大いに救ってもらったと断言できる。

 

2010年の10月から翌年の3月までの期間限定の放送だった「BUMP LOCKS!」はこの弾き語りの回をもって放送終了となった。出来れば休止となった分も含め、もっと放送を聞きたかったという気持ちも当時はあったが、今となっては、藤原基央を含めメンバーも大変な状況に見舞われている中、こうして時間を作って、自分たちリスナーに真摯に向き合って音楽を届けてくれた事に、ただただ感謝したいと、心から思う。

BUMP OF CHICKENはこの後、チャリティシングルとして「Smile」をリリースする事になるが、この事については次回の記事で振り返りたいと思う。

 

〈つづく〉

 

〇歌詞引用元

…「BUMP LOCKS!」2011年3月28日放送分 放送後記より

www.tfm.co.jp

 

自分とBUMP OF CHICKEN その2 「SCHOOL OF LOCK!」はとーやま校長とやしろ教頭の頃のリスナーでした編

 ※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

2009年、給食中の学校と友達の家の計2か所において、「カルマ」およびBUMP OF CHICKENとの運命的な出会いを果たした中学生のリキ少年。

そこから約1年の間、バンプは「R.I.P./Merry Christmas」や「魔法の料理 ~君から君へ~」、「HAPPY」のリリースなどを行っていたが、自分はそれらの活動にさほど強い興味を持たなかった。NHKの「みんなのうた」で「魔法の料理」が流れているのを聞いたり、朝の情報番組でシークレットライブを行ったというニュースを眺めたりするくらいで済ませてしまっていたのを覚えている。

 

「『カルマ』という曲が好きなバンド」どまりだったバンプに、もう一段階ハマるきっかけとなったのが、2010年の9月から10月にかけての「宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル」のリリースだった。


BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙』

どこからか入ってきたニュースだったかはよく覚えていないが、ある日自分の元に「バンプ新曲『宇宙飛行士への手紙』今夜ラジオで初OA」という情報が入ってきた。何よりも「新曲を発売日よりも前にフルサイズで聴ける」という事に胸が躍ったのを覚えている。思い返せば先述の「R.I.P./Merry Christmas」から「HAPPY」までのリリースに関しては、気付いたら既にリリースされていたという事もあり、リリースの盛り上がりの波に乗れなかったのもあったのかもしれない。とにかく、「初OA」という響きにワクワクした自分は、「orbital period」を再生した例のラジカセを再び引っ張り出して、来る9月14日の放送に備えていた。

 

「宇宙飛行士への手紙」の初OA当日、自分は地元・静岡のラジオ局であるK-MIXにチューニングを合わせて、「SCHOOL OF LOCK!」を聞き始めた。まだ夜も深い時間帯のラジオ番組のノリに疎かった当時の自分は、番組の冒頭から流れるあのギターソロや、「校長」や「教頭」とか「学校」といったワードが飛び交うOPトークにかなり戸惑いながらも、ようやく「宇宙飛行士への手紙」のOAまでこぎ着ける事が出来た。ラジカセから流れてくる「宇宙飛行士への手紙」は、決して良い音質とは言えない環境ながらも、そのサウンドはそのまま自分を宇宙まで連れて行ってくれるような、とても広がりのあるものだった。また、今でこそ「四つ打ち」という言葉で理解できるが、この曲のテンポのリズミカルさも、当時の自分にとってはとても衝撃的なものだったのを今でも覚えている。

 

「宇宙飛行士への手紙」の余韻に浸りながら続けて番組を聞いていると、「BUMP LOCKS!」という、バンプのメンバーがパーソナリティーを務めるコーナーの期間限定での復活がアナウンスされた。これは聞かない訳にはいかない…!と思い、そこから自分の「SCHOOL OF LOCK!」を聴く生活が始まった。バンプといえばbayfmで放送されている「PONTSUKA」という名前のレギュラー番組があるが、当時ネットを利用する手段をほぼ持っておらず、静岡県西部という、千葉県の電波が入ってくるはずもない所に住んでいたあの頃の自分にとっては、「バンプのラジオ」といえば「BUMP LOCKS!」だったのである。

今でこそ深夜ラジオを当たり前のようにリアタイする生活を送っているが、この「ラジオ番組を聴く」という習慣も、この「宇宙飛行士への手紙」のOAがなければ身に付かなかったかもしれないと、改めてバンプと「SCHOOL OF LOCK!」という番組に感謝したくなる。また、「SOLを聴く=J-POPや邦楽ロックにハマる」という流れにそのまま乗っかっていった自分は、この番組を通して当時2枚のミニアルバムをリリースしていたBase Ball Bearや、「天使と悪魔」をリリースしていた頃の世界の終わり(まだSEKAI NO OWARI表記じゃなかった)といった数々のバンドを知るようになった。今ならネットで古今東西様々なバンドやアーティストの情報を知る事が出来る環境にいるが、ラジオから人気バンド・急上昇グループを知るという体験は、本当に貴重なものだったと振り返って思う。

 

そんなこんなでSOLおよびBUMP LOCKS!を聴くようになった自分に、バンプのニューアルバム発売決定の情報が入ってきた。明確にバンプを好きになってから初めて発売されるアルバムに心が弾まない訳がなく、すぐさまGEOに駆け込んで(近所で一番近い新品のCDを扱ってるショップがGEOだった)、生まれて初めてCDを予約した。

そこからは次々とアナウンスされる新情報にワクワクを膨らませながら、指折り数えてアルバムの発売日を待つ日々が続いた。「COSMONAUT」というタイトルに宇宙飛行士は英語でそんな言い方もあるんだ…と思ったり、アルバムの収録曲の一覧が出た時には、それぞれがどんな曲なのか、懸命に想像を膨らませていたりもした。中でも初めてCDジャケットの画像を見た時の衝撃は半端なかった。宇宙服のヘルメットを持つ様子がデカデカと写っているそのジャケットは、今でも形容しがたい不思議さを感じさせてくれる。

 

そして12月15日、いよいよバンプのニューアルバム「COSMONAUT」が発売された。


BUMP OF CHICKEN「三ツ星カルテット」

今までCDはほとんどレンタルで済ませていた自分にとって、遂にバンプのCDを自分で所持するようになったリキ少年は、我が家の車に乗る機会がある度にCDを持ち込んでひたすら流していた。乗る度にアルバムの頭から再生するため、特に上の「三ツ星カルテット」のアコギのイントロはとにかく何十回と聴いていた。今でも、冬の寒空の下、カーステレオから流れるこの曲のイントロは、車窓から眺めた景色と一緒に記憶に強く焼き付いている。

また、今思い返すと「COSMONAUT」というアルバムのそのシンプルさも、自分にピッタリと刺さったのかもしれない。前作の「orbital period」は絵本と一体となったブックレットであったり、次作の「RAY」はARが使える歌詞カードなど、アルバムに対する仕掛けが色々と施されていたが、「COSMONAUT」に関しては、CDと比較的凝っていない歌詞カードのみと、とてもシンプルな作りこみだった。それゆえ、より曲に集中する事が出来たのかもしれない。

こういった経緯もあって、「COSMONAUT」はかなり思い入れの深いアルバムとなったし、一番好きなバンプのアルバムは?と聞かれたら、迷わずこのアルバムを挙げるくらいには好きなCDとなった。自分にとっての2010年は、「カルマ」の荒々しいカッコよさ以外の、BUMP OF CHICKENの更なる魅力を知る事の出来た一年だった。

 

こうして「宇宙飛行士への手紙」および「COSMONAUT」の存在によって、よりバンプにハマっていったリキ少年は、アルバムを何度も通して聞きながら、2011年へと突入していくのであった。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その1 二回の出会い編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

それは、2009年の春から夏にかけての頃の事だった。

 

自分が通っていた中学校では、給食の時間に放送部がお昼の放送なるものを行っていて、放送室に流してほしいCDを持っていけば、委員の人がかけてくれる、というシステムがあった。その日も、誰かが持ってきたCDが流れていた。

そして、その中で自分の耳に届いたのが、BUMP OF CHICKENの「カルマ」だった。


BUMP OF CHICKEN『カルマ』

「天体観測」やその他の人気曲をそれ以前に聞いていたとも思うが、自分が記憶している限りでは、この給食中に聞いた「カルマ」が自分とバンプとの初めての出会いだった。

 

当時中学生だった自分は、多感なお年頃だったし、若干中二病のような部分もあったのだろう、とにかく、そのサウンドのカッコよさに強く惹かれた。荒々しく鳴り響くギター。ハイテンポで刻まれるドラム。そして、耳に突き刺さる特徴的なボーカル。「カルマ」はバンプの曲の中でも3分半と比較的演奏時間が短い方の曲だが、その短さでも自分の心を掴むには十分だった。

 

しかし、ここで問題があった。放送委員は渡されたCDをただ流すだけなので、この曲が何という名前のアーティストの、何という名前の曲なのかといったアナウンスは一切してくれないのである。当時はまだShazamといった便利なアプリも存在していなかったし、そもそも学校にケータイを持ってくるなんてもっての他だった。それゆえ、その時の自分は、給食中に流れていた曲がただただカッコよかった、という感想を抱えただけで1度目の邂逅を終えていった。

 

自分とバンプの出会いを決定的にした2度目の邂逅は、ある友人の家で起きた。当時仲が良く、よく家に遊びにいっていた大柄の友達がいた(余談だが、その友達の家が裕福だったのもあって、お古のPSPを安く譲ってくれたり、やらなくなったソフトをくれたりと、色んな面でお世話になった)。その日もその友達の家に遊びにいって、友達がゲームをプレイしているのを漫画を読みながら眺めていたりした。すると、あの時カッコいいと思った曲がテレビ画面から流れ出してきた。そう、「テイルズオブジアビス」である。友達が「テイルズオブジアビス」のオープニングを流しているのに思わず反応して、友達に「これ、何て曲?」と気付いたら聞いていた。すると友達が、「BUMP OF CHICKENの「カルマ」って曲だよ」と教えてくれた。ついに、自分はバンプという名前にたどり着く事が出来たのである。

 

こうして思い返すと、この時この友達が「テイルズオブジアビス」をプレイしていなかったら、自分とバンプの出会いはもっと先の事になっていたかもしれないし、下手すると一生出会えないまま人生を終えていたかもしれない。そう思うと、この友達には感謝してもしきれない

ちなみに、「テイルズオブジアビス」は自分でも買ってプレイした。物語の重要な戦闘で流れる「カルマ」のオーケストラアレンジが最高にカッコよかったのも懐かしい思い出。

 

こうして「BUMP OF CHICKEN」と「カルマ」という二つのキーワードを手に入れた自分は、友達の家から帰った後、母親のケータイを借りて(今考えるととんでもない事だが、当時の我が家にはネット回線が存在せず、インターネットを利用する数少ない手段が、母親のケータイを借りてブラウザにアクセスする事だった)、バンプについて検索し、件の「カルマ」という曲がどのCDに入っているかを調べた。そうして辿り着いたのが「Orbital Period」だった。

 

母親に付き添ってもらい近所のレンタルショップで「Orbital Period」を借り、家にあったラジカセで(これも今考えると恐ろしい話だが、当時家にあったパソコンを触らせてもらえず、音楽プレーヤーも持っていなかった自分が音楽を聴く手段といえば、ラジカセでCDを再生するか、カセットテープ(!!)で録音したものを聞くくらいだった)CDをかけた。当時印象的だったのがCDに付いてきたブックレットだ。「Orbital Period」には「星の鳥」というタイトルの、実質絵本のようなブックレットが付いていて、絵本のストーリーに沿ってそれぞれの曲の歌詞が載っている、という形式だった。今でこそバンプの曲は満遍なく聴くようになってはいるが、カッコいいを求めていた当時の自分は、ひたすら「カルマ」をリピートして、他の曲にはほとんど目もくれなかったし、先述の絵本風のブックレットも流し読みしていた。ただ、当時CDをレンタルするという事をほとんどしてこなかった自分にとっては、アルバムを借りて聞くというのはとても新鮮な体験であったし、「星の鳥 reprise」という、「カルマ」の前奏曲のようなインスト曲も入っていて、「カルマ」という曲の世界がより広がったように感じられた。

 

こうして、自分とバンプの出会いは生まれ、今日へと続く自分とバンプとの関係性のきっかけとなった。しかし、出会ってすぐドハマりした、という訳でもなく、バンプの他のアルバムに手を出してみたりなんて事もその時はまだしないままで過ごしていた。

 

自分がバンプを本格的に聞くようになるのは、翌年2010年の9月の出来事が事の発端となる。

 

〈つづく〉