自分とBUMP OF CHICKEN その10 「グラブル」はデレマスコラボ第2弾の頃から始めました編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

2017年4月、晴れて大学へと進学した自分は、東京で一人暮らしを始めた。もちろん、それまで集めていたバンプのCDやグッズなども一人暮らし先に持って行った。

スタジアムツアー「BFLY」と「リボン」の生配信で再びバンプへの熱を取り戻した自分だったが、上京する事でよりバンプに触れるある機会を増やす事が出来た。それは、バンプのレギュラーラジオ番組である「PONTSUKA」をリアルタイムで聴けるようになったという事だ。「PONTSUKA」自体はインターネットでも配信されているし、地元でも遅れてではあるが聞く事自体は出来た。しかし、自分の性格上、配信系の番組は「視聴期限までまだ余裕があるし、すぐに見なくてもいいや」と思ってしまい、結局期限ギリギリになって視聴、あるいは聞き逃してしまう事が多いので、こうしてリアルタイムで番組を聴ける環境に自分の身を置けたのは大きかった。日曜の深夜3時を回った頃から始まるこの番組は、一週間の一番最後に触れるものとして、とてもゆるくてちょうど良い番組だ。

(ちなみに、インターネットで配信しているバージョンが、地上波で流せなかった部分も含めた完全版であるという事に気が付いたのは、上京して数年後の事だった。)

 

そして、バンプ熱を取り戻した自分にとって、さらにタイミングと運の良い出来事が起こった。それは、「GO」が、「GRANBLUE FANTASY(通称グラブル)」のアニメのOPとして起用された事だった。


BUMP OF CHICKEN「GO」

元々グラブルはこのタイアップが決まる前から、アイドルマスターシンデレラガールズとのコラボをきっかけにプレイしていて、いくらか課金してしまうくらいにはグラブルにハマっていた。自分のハマっているゲームに、まさかバンプが関わる事があるなんて…、と若干運命めいたものを感じながらこの一報にとても喜んだのを覚えている。アニメは2017年の4月から放送開始と、上京したてのタイミングにぴったり合ったというのも大きかった。

のちのグラブル内のイベントで、「GO」の歌詞の〈とても素晴らしい日になるよ〉の部分が、イベントを進める事で取得できる称号として獲得できた。当時まだ戦力が揃っていなかった自分は、苦労してこの称号を獲る事が出来た。

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この称号を取得して以来、自分のプロフィールにはこの称号をずっと固定してあったりする。

 

5月1日、先述の「リボン」が配信リリースされると共に、秋からのアリーナツアーの開催が発表された。ツアーの中には自分にとってはおなじみの静岡エコパアリーナでの公演もあり、真っ先に10月8日の公演に申し込んだ。地元に帰るという形ではあるが、「BFLY」の名古屋公演以来の久しぶりのライブ、さらにこのライブはアルバムを引っ提げていないという意味ではとても久しぶりのツアーだったという事もあり、どんな曲が披露されるかという期待も大きく膨らんだ。

また、このツアーは何度か追加公演の決定が発表されており、まさかのエコパアリーナが2daysライブになったり、千秋楽として約10年振りのさいたまスーパーアリーナSSA)公演も開催される事となった。10月8日のチケットは入手していたが、その時はまだバイトも始めておらず、財布の紐が固く結ばれていた自分にとっては、エコパのday2を取ってベースの直井由文(チャマ)の誕生日を当日にお祝いするか、トリのSSAのday2を取って念願の「DANNY」リベンジをするかの2択で非常に悩んだ。そして、結果として後者を取る事に決めたのだった。

 

「PATHFINDER」と名付けられたこのアリーナツアーは、当時リリースされた「記念撮影」などの新曲も交えながらも、バンプの新旧の楽曲が上手く組み合わされた、往年のファンにとっては嬉しい内容のセットリストであった。個人的にはバンプを聞き始めた頃からお気に入りの一曲だった「pinkie」が初めてライブで披露され、多くのファンの注目を浴びるようになった事もとても嬉しく感じた。

自分が参加した公演のうち、エコパアリーナの初日では、「you were here」の演奏中、藤原が「(歌詞を)間違えた」と歌うハプニングが起きたり、上記のチャマの誕生日の前日だったという事もあり、チャマが弾き語りで歌うビヨンセの「XO」を聴けたりと、とても思い出に残るライブだった。もっとも、その翌日のライブではチャマの誕生日をお祝いするスペシャルムービーが流れたり、チャマが作詞に加わった「彼女と星の椅子」が弾き語りで披露されたりと、こちらも特別な一日になったという話を聞いて、やはり無理をしてでも行くべきだったと少し後悔したが。


Beyoncé - XO (Video)

2018年2月11日に参加したSSA公演は、バンプの結成21周年という節目の一日だったという事もあり観客もお祝いのムードに包まれていて、藤原も曲中に「21歳になったぜー!」と発言するほどだった。そんな記念すべき日に披露された、20周年を締めくくる形で発表された「リボン」は、やはりいつも以上に胸に来るものがあった。また、この公演はアンコールが終わった後に藤原がまだ完成前の「Spica」の一節を披露してくれたのもとても思い出に残るものだったし、この日の模様は映像作品として発売されており、自分の行ったライブがパッケージで残るというのも初めての体験で、大変嬉しく思ったのを覚えている。

ちなみに先ほど触れた「DANNY」リベンジに関しては、藤原がインフルエンザのため福岡公演が延期になり、元々千秋楽公演だったSSA公演より後の日程での開催となったため、実際には福岡公演で「DANNY」が披露されたという、なんとも惜しいニアミスという結果に終わった。「DANNY」をもう一度、ライブで聴きたい…。

 

「PATHFINDER」ツアー終了後のバンプは、アニメ「重神機パンドーラ」のOPとEDにそれぞれ「シリウス」と「Spica」を、アプリゲーム「妖怪ウォッチ ワールド」のCMソングとして「望遠のマーチ」を、アニメ「からくりサーカス」のOPに「月虹」を、ロッテ70周年記念アニメ「ベイビーアイラブユーだぜ」に「新世界」を、翌年行われる箱根駅伝に往年の名曲である「ロストマン」を提供したりと、実に多くのタイアップを行っていた。こうして振り返ってみても、異常なまでのタイアップ数だと思う。

そんな数々のタイアップの中でも、自分にとって思い出深いタイアップとなったのが、映画「億男」の主題歌として提供された「話がしたいよ」である。


BUMP OF CHICKEN「話がしたいよ」

バンプはこの曲で約4年振りに「Mステ」に生出演する事になったが、その放送日が10月19日と、自分の誕生日と重なる事となった。

自分の誕生日とバンプ関連の出来事が重なるのは、2011年の「ゼロ」の発売以来の事であり、やはりとても嬉しく思ったのを覚えている。実際、誕生日の数日前に体調を崩して、万全の状態で誕生日を迎える事は出来なかったが、それでもテレビ越しに生でリスナーに音楽を届けようとしてくれるメンバーの姿と「話がしたいよ」は、とても元気をもらった。

 

今回は2017年の4月から2018年までのバンプとの思い出を振り返ったが、単純にバンプに触れる機会がとても多い期間だったと改めて感じた。「PONTSUKA」をリアタイできるようになった事や、これまではツアー中1公演しか参加できていなかったのが複数回参加できた事、そして上記のような度重なるタイアップと、この期間は非常にバンプに触れる機会に恵まれていた。バンプへの熱を取り戻した自分にとっては、まさにその熱を維持するだけの供給がなされていたのだと気付きを得た所で、今回のブログは終わりたいと思う。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その9 「リボン」に救われた編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

2016年4月、自分は2年目の浪人期へと突入する事となる。そりゃアイマスに現を抜かして勉強を疎かにしていた自分にとって当然の処置であった。こんなクズな自分を、両親はよく許してくれたと今になって猛省している。

さすがに危機感を感じたリキ浪人生は、アイマスともいったん距離を置き、受験勉強に集中するようになった。2015年は全てのアイマスライブに現地・LVを含めて参加していたのを、2016年は担当の宮尾美也役の桐谷蝶々さんが唯一出演していたミリオンライブ3rd LIVEの1月に行われた名古屋公演のみに留めていた。

 

この頃のバンプはどうだったかというと、2月10日にニューアルバム「Butterflies」をリリースし、翌日の2月11日には結成20周年記念のスペシャルライブ「20」を幕張で開催していた。しかし、ちょうど2年目の浪人を決断していた時期だったというのもあり、この二つに集中してもいられなかった(上述のミリ3rd名古屋公演は1月31日の公演だったはずだが、という矛盾がここで生じているが…)。アルバムはとりあえず買って。ライブも、すごい素敵な内容だし、あの「BUMP OF CHICKENのテーマ」もアンコールで披露したのかー。といった軽いテンションでこれらの記念すべきイベントをスルーしてしまった。倦怠期は未だ続いていたのだった。

 

そんな自分がバンプとの距離感を再び縮めるきっかけとなった出来事のひとつがスタジアムツアー「STADIUM TOUR 2016 "BFLY"」への参加だった。

当時の自分はとにかく勉強に集中するようになっていて、それ以外の事はなるべく禁止するようにしていて、このツアー自体もパスするつもりでいたし、チケットの申し込みもしなかった。しかし、以前「WILLPOLIS 2014」に参加した際に同伴してくれた知り合いが、チケットがあるからという理由で自分の事を誘ってくれた。結果として甘えにはなるが、せっかくの機会を無駄にしたくないという理由で、親に土下座をしてそのチケットを譲ってもらう事にした。

 

こうして参加したのが5月8日、愛知県ナゴヤドームでの公演だった。自分にとっては初めてのドームでのライブという事もありいつも以上の興奮も感じていた。現地で知り合いと落ち合い、ドームに併設されているショッピングモールで時間を潰すなどして、いよいよ会場へと足を踏み入れた。

ドームなだけあっていつもより大規模なステージのセットと、見渡す限り一面に広がる観客席に自分の心も自然と高まっていった。そして開演時間、このライブのためだけに作られたOPの曲に合わせて会場全体もボルテージが上昇し、ついに「Hello,world!」で幕が上がった。

 

このツアー「BFLY」は全会場でセットリストが同じと、かなりタイトなツアーであり、全会場に参加するようなコアなファンからは一定の不満が生じたという話を聞いた事がある。しかし、自分にとっては、感動という点ではこのライブが恐らくこれまで参加したライブの中で一番といっても良いくらいのものとなった。

そんな思い出に残るライブとなった理由が二つある。

ひとつが中盤の終わり頃に披露された「車輪の唄」だった。以前も述べた事だが、「それまで自分の中でピンと来ていなかった曲が、あるライブで聴いた瞬間とてつもない名曲だと悟る」というあるあるが、このライブでも起こった。もちろん「車輪の唄」はこのライブで聴く以前から好きな曲だったが、このライブで聴いた時の空気感がいつもより曲に没入できるものだった。ステージのスクリーンに映し出される朝焼けの空、いつもより全身で感じられる軽快かつ重みのあるサウンド、そしてマイクを通して直接耳に入ってくる藤原基央のボーカル。これらの要素が見事に合わさって、自分がまるでこの曲の世界観の中にいるような感覚に陥ったのを数年経った今でもよく覚えている。それは、思わず感動で泣き崩れるほどの感動だった。

そして、もうひとつが本編終盤の怒涛の追い込みだった。「車輪の唄」で心を持っていかれた自分は完全にこのライブに心酔している状態だった。「supernova」で会場全体が合唱でひとつとなった後、「ray」の〈生きるのは最高だ〉でひとつのクライマックスを迎えるステージ。そこから「虹を待つ人」でボルテージが最高潮まで到達し、ラストの「Butterfly」でその日一番の盛り上がりを見せる観客。この一連の流れ全てが自分にとって至福の時間となった。

アンコールの「天体観測」が終わり、いよいよ終演となった際、自分はしばらく客席から動く事が出来ず、ただただその場で感じた多幸感を噛みしめていた。こうして振り返ると、浪人も2年目に突入し危機感を感じ、精神的に不安定だったのもあるのだろう。そんな自分の弱っている心を、バンプのパフォーマンスは見事に救い上げてくれたのだった。

こうして「BFLY」ナゴヤドーム公演は2016年の自分にとってかけがえのないライブとなったのだった。

 

「BFLY」の後、バンプ「アリア」をドラマ「仰げば尊し」に提供したり、「アンサー」をアニメ「3月のライオン」のOPに提供し、以前コラボした際の「ファイター」もEDに起用されたりと、タイアップでの活動が行われていたが、その間の自分は改めて受験への気持ちを入れ直し、勉強へ集中していたので、これらの活動もある程度抑えておくぐらいに留めていた。翌年2017年の1月には「流れ星の正体」のデモ音源をHP上で公開していたが、センター試験も終わっていよいよ佳境というタイミングで、このデモ音源も聞く余裕がなかったのを覚えている。

 

そんな極限状態に陥っていた自分が、バンプとの距離をより縮めるに至れた出来事が「リボン」の披露だった。


BUMP OF CHICKEN「リボン」

この曲は、活動20周年を締め括る一曲として、2月10日にYouTubeなどでスタジオライブの模様が生配信された。自分はその当時、東京の大学を受験するために単身上京し、父方の親戚の家に泊まらせてもらっていた。いくら親戚とは言え一人で東京に来た事への心細さ、自分の人生を決める事となる受験が続くという事に、極度のプレッシャーを感じていた。最後の最後まで対策はすれど、本当に合格できるのかという不安に苛まれていた。そんな自分に一抹の希望を差し込ませてくれたのが、この生配信だった。

Wi-Fiが使えなく、スマホのデータ通信で見ていたため画質も綺麗なものでは見れなかったが、バンプのこれまでの歩みを振り替えるような歌詞、そして、〈赤い星並べて どこまでも行くんだ〉というフレーズに、どこか心が安らいでいったのを今でも覚えている。

もし、このタイミングでこの「リボン」の生配信を見る事が出来なかったら、自分はこの受験期間を乗り越える事が出来なかったかもしれない。それ位、この出来事は自分にとっても重要なものとなった。

 

こうして「BFLY」への参加と「リボン」の生配信の2つの出来事で再びバンプへの距離を縮める事となった自分は、無事大学に合格し、晴れて大学生としての暮らしを東京で送る事となった。

 

〈つづく〉

 

自分とBUMP OF CHICKEN その8 バンプよりアイマスだった頃編

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2015年、自分の人生にとって、ひとつの底辺期に突入する。それは浪人だ。高校3年生の1年は説明するのもはばかれるような色んな事があり、一時期は卒業すら怪しい所にまで陥っていた。何とか高校で留年は回避し、卒業は出来たが大学受験は当然の如く失敗し、浪人期へと突入する事となった。

自分は通いやすい私塾で受験勉強をしながら、受験費を稼ぐために近所のスーパーの精肉部門でアルバイトをしていた。そんな自分の心の支えになっていたのは、バンプではなく、アイドルマスターだった。

 

2015年はシンデレラガールズのアニメが放映されたり、アイドルマスター自体が10周年を迎えたりと、それぞれのコンテンツが盛り上がりを見せていた。自分自身は2014年の時点でミリオンライブの宮尾美也に一目ぼれし担当になったりと、アイマス好きとしてのポジションを確立していた。また、件の10周年記念の西武ドームでの2daysライブは両日とも現地で、その他のミリオン・シンデレラ・サイドエムのライブも全てライブビューイングで参戦するなど、もはや受験そっちのけでアイマスに熱中していた。

 

アイマスにお熱だったのもありバンプが二の次になっていた自分は、8月に行われた「Hello,world!/コロニー」のシングルリリース記念のスペシャルライブをよくある言い方をすれば「干した」。大阪と横浜で行われたこのライブは、横浜公演でバンプにとって今現在唯一となる全国の映画館でのライブビューイングを行っていたにも関わらず、それにすら参加しなかった。アイマスライブのLVは欠かさずに行っていたのに、である。中学の同級生で同じバンプ好きの知り合いから「LV会場の映画館で会えると思ったのに」と言われたのが今でもずっと心にしこりとして残っている。ライブ自体も「ハンマーソングと痛みの塔」や「太陽」などといった珍しい選曲がされた貴重なライブであったのに、参加しなかったのが今となってはただただ悔やまれるライブとなってしまった(このスペシャルライブの横浜公演の模様は後にアルバム「Butterflies」に収録されたので、見る事自体は叶ったが)。

 

受験勉強には身が入らず、アイマスの新情報を追ってばかりという何とも情けない生活を送っていた自分は、おそらく人生で一番バンプと離れていた期間をずっと過ごしていた。バンプも聴くが、それ以上にアイマスの曲を聴いているような時期だった。

 

2015年のバンプにとって一番大きな出来事となったのが、年末の「紅白歌合戦」への出演だった。ファンにとって念願の初出演、生放送での楽曲の披露は去年の「Mステ」以来約1年半振りという今回の出演は、自分にとって一番バンプで盛り上がった出来事だったが、それでもバンプの他の活動まではそこまで乗り気で追いかけはしなかった。紅白歌合戦への出演と合わせてバンプは初めてNHKの「SONGS」に出演していたが、それも見た覚えはあるが、内容をさほど覚えていない、というくらいに思い出を作らないでいた。2015年の内にニューアルバム「Butterflies」の発売がアナウンスされていたが、その事すらもはっきりと覚えていなかった。

 

そして来る2015年の大晦日。自分は家族が「ガキ使」を見ている所を何とか押し切ってNHKにチャンネルを合わせ、バンプの晴れ舞台を見届けた。バンプNHKホールからの出演ではなく、同日に出演していた年末年始のロックフェス「CDJ1516」の会場からの出演だった。「ray」を披露するバンプのメンバーの姿はいつにもなく凛々しいものだったが、同じ画面に映る盛り上がっている観客の姿に、何処となく置いて行かれているような感覚を味わったのを覚えている。バンプと距離を自ら開けていたというのに。

 

こうして、自分とバンプとの間に一番距離が開いていた一年が幕を閉じた。完全にバンプを拒絶していた訳ではなく、「Hello,world!」がOPで使用されていた「血界戦線」は毎話楽しく視聴していたし、楽曲自体も聞くには聞いていた。2009年にバンプのファンになってから7年目。嫌いになった訳ではないが、いわゆるバンプに対するちょっとした倦怠感のようなものが訪れたのであろう。「アイドルマスター」という新しいものにドハマりしていたのもあって、バンプとの思い出が一番少ない一年となってしまった。

では翌年の2016年そんな状況からどうなったのかと言えば、依然として距離感は隔たりがあったが、ある出来事をきっかけにまたグッと距離を縮める事となった。その出来事については、次回の更新で触れたいと思う。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その7 サブタイトル思いつかなかった編

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2014年3月、「COSMONAUT」から実に3年3か月振りの7thアルバム、「RAY」が発売された。ただ、アルバムの発売の直後は自分の所属している吹奏楽部の集大成である定期演奏会があり、そちらに時間を追われているため、ようやくじっくりとアルバムを聴けるのは新年度に入ってからであった。

「RAY」は「COSMONAUT」のカントリー感溢れるサウンドから、シンセの多用を中心とした挑戦的な音作りが見られる曲と、バンプの原点とも言える重厚なロックテイストな曲が同時に並ぶという、バンドの今と昔が交錯しているようなイメージを強く受けた。特に「ray」は今のライブでも定番曲になったように、このアルバムの核を成す曲となった。〈生きるのは最高だ〉というフレーズも、ついにこの言葉を言葉として表現するのか…と衝撃を受けたのを覚えている。

また、このアルバムは以前の記事で書いた「BOC-AR」アプリと連動して、アルバムの歌詞カードをより楽しめる要素もあった。「orbital period」に付いてきた「星の鳥」とはまた違った形でのストーリーの楽しみ方を体験する事が出来た。実はまたやってほしいシステムだと結構思ってる。

 

「RAY」の発売と同時に大きなニュースとなったのが、初音ミクを客演に迎えたバージョンの「RAY」のリリースだった。


BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」

アイドルマスターを通じてニコニコ動画ニコニコ動画を通じて初音ミクを認知していった自分は、この意外すぎるコラボに最初はとても驚いた。しかし、これまで他のアーティストとコラボというコラボを行ってこなかったバンプが、初のフィーチャリングとして迎えたのが初音ミクという事に、不思議と違和感は感じなかった。というのも、初音ミクというアーティストは実に透明なアーティストであって、その存在をそれぞれのコンポーザーたちが自分の色に染めていくのが一つの魅力であると自分は考えている。それと同じように、このコラボもその透明さがゆえに成立したものだと考えている。バンプの持つ世界観と衝突しないアーティストが誰かと考えると、初音ミクが正に適任だったのだと思う。

この二組は、のちに行われるライブツアー「WILLPOLIS 2014」の千秋楽の東京ドーム公演で待望の競演を果たした。


BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」LIVE MUSIC VIDEO

初音ミクが現れた瞬間に起こる歓声、藤原基央初音ミクにボーカルを譲る瞬間の様子と、この会場にいる誰もが「初音ミク」というアーティストを心から受け入れていたのが伝わってくる。それだけでもこの異色のコラボは成功したと言えるのではないだろうか。

ちなみに、この初音ミクとのコラボした際の音源は当時iTunesでのみ期間限定で配信された。前回のブログのように当時ダウンロード配信に全くタッチする事の出来なかった自分はここでもやはり置いてけぼりを食らう事となった。そんな音源は今ではSpotifyなどのサブスクで聴く事が出来る。本当、良い時代になったものである。

 

先述のライブツアー「WILLPOLIS 2014」に、自分は地元静岡のエコパアリーナ公演に参加する事が出来た。「GOLD GLIDER TOUR 2012」の時も同じエコパアリーナの公演に参加したが、その時と違うのは、バンプ仲間と参加できた事だった。友達の友達という関係性の人だったが、同じものが好きという点で仲良くならない訳がなかった。グッズ待機列も、開演前の時間も、ライブが終わった後も、とにかくその知り合いとバンプについて語り合ったのが懐かしい。

ライブ本編ももちろんずっと幸せな時間が続く内容だった。「RAY」の収録曲を中心に、前回のツアーでも導入された「恥ずかし島」で披露された「歩く幽霊」はここの場でしか聞けない特別なものとなったし、アンコールが4曲と、他の会場よりも大きく盛り上がるものとなった。余談だが、バンプの静岡公演は他の会場よりも特別な内容になる事が多い(DANNYの披露、他の会場より多いアンコール、次回以降に触れるチャマの誕生日関連など)ので、今後静岡でライブが開催される際は、ぜひチケットを抑える事をおススメする。

 

このライブと並行して、7月31日放送の「ミュージックステーション」において、バンプは初めての生放送での楽曲披露を行った。

もちろん自分も当日はテレビにかじりついて、バンプの出番を今か今かと待ちわびていた。自分の好きなバンドの地上波の音楽番組に初出演という状況に、とんでもない嬉しさと、ファン以外の視聴者にはどんな風に見られるのかというちょっとした不安も抱えていた。そしていよいよ来るバンプの番、その時のバンプは「虹を待つ人」と「RAY」の2曲を披露していた。自分がエコパアリーナで見た時と変わらない、いつも通りの演奏をしていた事にとても安心した。かつて「ブラウン管の向こう側から評価されたくない」と藤原基央は発言した事があった。その頃とは違い、ブラウン管からデジタルテレビへと世間は移行し、バンプも尖った楽曲からその時の最新のモードの楽曲を披露した。いちバンプファンとしては、ある意味ひとつの歴史的瞬間に立ち会う事が出来たのだと、一人勝手に感激していた。

 

2013年に引き続き、初の他アーティストとのコラボ、しかも初音ミクという実体のないアーティストとのコラボや「Mステ」への出演、今回の記事では触れなかったが、ドキュメンタリー映画の劇場公開や漫画「3月のライオン」とのコラボレーションなど、BUMP OF CHICKENは2014年も多くの挑戦を行った。今回こうして振り返ってみると、何だかんだバンプの活動をある程度楽しめていたんだと思えた。しかし、この翌年が、おそらく一番バンプとの距離が離れていた時期と言ってもいいかもしれない。

 

〈つづく〉

自分とBUMP OF CHICKEN その6 アナログ人間をこじらせてた編

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この振り返りも2013年に突入したが、この辺りから少しずつバンプとの思い出が薄くなっていく。何故かというと、この年の頭からアイドルマスターにハマり、アイマスを中心に据えた生活を送るようになり、バンプを追いかけるのが二の次になっていたからだ。別の機会にアイマスとの思い出を振り返るかもしれないが、ここから2016年辺りまで、バンプと若干疎遠になる期間が続く事となる。

 

2013年4月、BUMP OF CHICKENにとって初めてのベストアルバムが7月に2枚同時リリースされる事が発表された。この頃の自分は、バンプのCDが発売されたら何も考えずに購入するレベルのファンの域にいて、このCDも「お金はないけどとりあえず買っておくか…」ぐらいの心持ちで購入したのを覚えている。また、当時のバンプは「BOC-AR」というARアプリケーションを公式から配信しており、スマホをCDのブックレットなどにかざすと、特別な演出が見られるようになっていた。今はもう配信を停止しているが、VRを含め拡張現実がより世間に知られるようになった2021年にこのアプリがあればもっと盛り上がるのでは、といちファンながら思う。つまりは、リニューアル配信を希望。

 

6月に新曲「虹を待つ人」が「ガッチャマン」の実写版映画の主題歌に起用される事が発表された。


BUMP OF CHICKEN「虹を待つ人」

7月には「SCHOOL OF LOCK!」で初オンエアされたが、これまでのバンプになかったエレクトロなサウンドとハイテンポなバスドラム、そしてサビでのコール&レスポンスと、バンプにとって新しすぎるその楽曲に、当時は強い戸惑いを感じた。今となってはライブで披露されれば大いに盛り上がれるし、自分にとっても好きな曲だが、これまでのバンプの楽曲のイメージとのギャップもあってか、少し着いていけないかも…と感じる所があった。

また、この「虹を待つ人」はバンプにとって初めての配信リリース楽曲でもあった。「配信リリース!?」と当時のリキ少年は驚愕した。まだまだ前時代を生きていた自分はダウンロード形式という実体のないものを購入する事に強く抵抗を覚えていたし、ましてやどうやって支払いをすればいいのか、クレジットカードなんてもってないし親にもこんな事頼めないぞ…と配信が開始された後もなかなか購入に踏み切れなかった。バンプの音源はほぼほぼ押さえている自分だが、この「虹を待つ人」のともう一つのある楽曲の配信音源だけは未だに手元にない。

そこから自分が配信の音源を購入するに至るまでには、2016年の「リボン」まで実に4年の期間を有する事となる。先ほどアイマスへの熱中がバンプと疎遠になった一つの理由と述べたが、このように配信リリースされる楽曲たちにすぐに触れられず、フィジカルでのリリースを待つようになったという壁が生じていたのも、自分とバンプとの間に距離が生まれた一因だったのかもしれない。

 

先述のベストアルバムの発売から一か月後の8月9日、バンプは千葉県のQVCマリンフィールドで発売記念のライブを行った。このライブはYouTubeで生中継され、遠い静岡の自宅からも画面を通してみる事が出来た。初のスタジアムでのライブだったこの公演、画面越しからもその規模感のすごさが伝わってきたし、この頃からライブで導入された「ザイロバンド」と呼ばれる自動で光るリストバンドによって光の海のように輝くスタジアムがとても印象に残っている。バンプはこのライブの後「WILLPOLIS」というタイトルのアリーナツアーを行ったが、まだまだライブのために遠征するという発想を持ち合わせていなかった自分は、大都市中心でしか開催されないツアーに悔しさばかりを募らせていった。

 

「WILLPOLIS」は10月下旬の日本武道館公演で千秋楽を迎えたが、そこでニューアルバムの「RAY」の発売が発表された。「COSMONAUT」以来約3年半振りのアルバム、少しずつバンプとの距離感を感じて自分にとってもこのニュースには胸が躍るものがあった。新しいアルバムへの期待を胸に、自分は2014年へと突入していった。

 

改めて振り返ると、2013年はBUMP OF CHICKENにとってひとつの変革期だったように思える。先述のベストアルバム発売という、これまでのバンドの歴史をひとつの形にまとめるという行為を行ったり、ARアプリの配信、楽曲の配信リリース、ライブでのザイロバンドの導入、ライブの生中継(と言っても、ライブがネット上で生中継されたのは今現在ベストアルバム発売記念ライブのみである)、上では触れられなかったが、メンバーもライブの序盤にナポレオンジャケットを羽織るなど、ビジュアル面でも、システム面でも新しい要素をどんどん取り入れていった。

楽曲面でも「虹を待つ人」を皮切りに、生音にこだわらないトラックの導入、ダンスミュージックの要素の取り入れなど、より表現の幅を広げていったのを肌感覚で感じていた。先ほどから何度もバンプと疎遠になり始めたと述べてきたが、このバンド自身の様々な変化を受け入れるのに、自分なりに少々時間がかかったというのもあるのかもしれないと振り返って強く感じた。

 

〈つづく〉

 

自分とBUMP OF CHICKEN その5 初めてのバンプのライブ編

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高校受験前の1月18日、BUMP OF CHICKENの22枚目のシングル「グッドラック」が発売された。


BUMP OF CHICKEN「グッドラック」

この曲は映画「ALWAYS 三丁目の夕日 '64」の主題歌でもあり、限定盤には30分ほどのショートムービーが収録されたDVDも付いてきた。見返すと染谷将太吉岡秀隆が出演している、なかなかに豪華な内容だった。また、CDの盤面や歌詞カードなどに映画とリンクした東京タワーや、まだ完成前だった東京スカイツリーがデザインされていて、それを見て東京という場所に憧れを抱いたというのが、東京の大学への進学を目指した理由のひとつとなっている気がした。

 

そしてもう一つ、このCDにはバンプにとって2008年以来4年振りとなるアリーナツアー「GOLD GLIDER TOUR 2012」の抽選応募券も付いていた。前回の記事で取り上げた「ゼロ」にもその前に行われたライブハウスツアー「GOOD GLIDER TOUR」の抽選応募券が付いていたのだが、一番近い所でも名古屋でのライブでしかなかった。まだバンドのライブに見に行くために遠征する、という発想が全くなかった自分は「GOOD GLIDER TOUR」で盛り上がっている様子を、「ROCKIN'ON JAPAN」などといった音楽雑誌のレポートを見て羨ましく思うだけに終わっていた。

今回の「GOLD GLIDER TOUR 2012」では、地元・静岡のエコパアリーナでもライブが開催される事が決まっていた。念願のバンプのライブに参加できるチャンス、どうか当たりますようにと念を込めながら自分はイープラスから申し込みを行った。

そして、当落発表当日、自分は震える手を何とか動かしてサイトを開いた。すると、「チケットをご用意いたしました」の文字が。バンプのファンになってから4年目、ついに自分は人生で始めてのライブ、しかも自分が一番好きなバンドのライブに参加する権利を得る事が出来たのだった。

 

高校入学から数か月、自分は中学から続けていた吹奏楽部に所属したり、クラスの委員決めで何故か応援団に所属する事になり、毎日厳しい指導を受けたりするなどの新生活特有の忙しい日々を過ごしていたが、そんな大変さもバンプのライブに行ける事を考えれば微塵も感じなかった。サイトにアップされるグッズの情報を見て、少ない所持金からどれを買うかをずっと悩んだり、過去のセットリストを見て今回のライブではどれを披露してくれるのか、自分がバンプにハマるきっかけとなった「カルマ」は果たして聴けるのか、などといった事を色々と考えていた。

もちろんライブに向けた準備も周到に行っていた。当日は部活の練習も入っていたが、家の用事があるというあからさまなウソを付いて休みを取っていたし、応援団の練習も、その一週間ぐらい前から足を痛めているという、こちらもバレバレなウソを付いて上手い事当日のしごきを回避するなどしていた。ライブにはどのような恰好で行けばいいのか、水分は持ち込めるかなど、本当に遠足に行く前日の子供みたいなムーブを一か月に渡って行っていた。それ程に、初めてのライブへの期待と興奮が止められなかったのだ。

 

そして、来る6月9日土曜日、「ロックの日」だなんて運命を感じるな…なんて思いながら自分は会場に足を運んだ。…親の車で送ってもらって。

恥ずかしい話だが、自宅から会場までは少し距離があり、電車賃を考えるとグッズをいくつか諦めなければいけない事に気付いた自分は、母親にほぼ泣きつきながら送迎をお願いしたのを覚えている。母親は快く承諾してくれたが、残念な事にその時取れたチケットは一枚だけで、ライブの開演中、ずっと母親を駐車場で待たせるという事態が発生してしまった。ライブの終演後、母親と合流した際、「外からの音が聞こえてそれなりに楽しかったよ」とは言ってくれたが、今となっては心から謝りたいくらいに申し訳ない事をしてしまったと反省している。

 

時を少し戻して開演前、自分は待望のグッズの購入に向かう事にした。会場のエコパアリーナはスタジアムが併設されており、そのスタジアムの外縁をぐるっと囲むようにその待機列は形成されていた。こんなに並ぶものなのか…とライブ初体験の自分はかなり面食らいながらも最後尾に着き、自分に順番が回ってくるのを今か今かと待ちわびていた。並び始めてから大体1時間くらいと結構な時間並んでいたが、それも特に退屈だと感じなかったのは、ひとえに同じように並んでいた観客から感じるワクワクを感じ取る事が出来たからであろう。同じバンドを好きな人たちで集まれる機会というものに、自分は喜びと興奮を感じていた。

そうこうしている内にやってきた自分の物販の番。自分はライブTのブルーとオレンジ、FFコラボのピンバッジ付のTシャツ、スティッチコラボのキーホルダー、パスケース、そしてスポーツタオルを2枚購入した。このタオルが人生で初めて「保存用」まで購入したものだった。

今振り返ると、ブルーとオレンジのTシャツはなかなかに攻めたチョイスだった。もちろんホワイトやブラックといった着回しやすいカラーのものもあったが、とにかく派手なやつが良い!というお子ちゃまみたいな発想でその色を購入した自分は、当時ファッションにも疎かったというのもあるが、とにかく至る所でそのTシャツを着倒していた。9年前の自分に言いたいのは、「もっと落ち着いた色の服を選べ」、ただそれだけだ。

 

無事にグッズも購入でき、いよいよ会場の時間が訪れた。自分が取ったチケットはアリーナ席の一番後ろのブロックだった。もちろんステージなんてとても遠くにあり、メンバーも米粒ぐらいにしか見えなかったが、そんな事ですらどうでも良いと思えるくらいに、ライブ会場という空間にいられる事にとにかくテンションが上がっていた。その頃のバンプの開演前のSEはモーリス・ラヴェルの「ボレロ」で、この曲がクライマックスに近付くほどに会場全体の熱量も上がっていた。最後の方ではクラップも発生するくらいの盛り上がりを見せ、フィナーレを迎えた後、遂にその時が来た。

 

始めはムービーからだった。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」スペシャルMV

(↑この動画から、少しだけオープニングのムービーを見る事が出来る)

ファンタジーチックなその映像は、この会場をどこか現実とは違う空間へと誘っているように思えた。ムービーの中で主人公がグライダー型の金色の模型を手に入れ、それを投げた瞬間に視点がその模型へと移り変わり、様々な土地を滑空している様子が映し出されていった。そしてその模型が最後にこの会場へと辿り着き、煌めきを残して消えていくという演出に観客も拍手で応えていた。

すると突然、軽快なドラムのリズムが鳴り響いた。暗幕越しに、升秀夫がドラムを叩く様子が照明を使って大きく映し出される。そこからベースの直井由文、ギターの増川弘明とメンバーが続々とステージ上に現れ、ついにボーカル&ギターの藤原基央も登場し、ライブではお決まりのルーティンとなっている、ギターを片手で掲げる動作を行った時に観客のテンションはMAXとなり、会場全体を包み込むような歓声と拍手の波が起こった。そうして披露された1曲目が「三ツ星カルテット」だった。

オリジナルはアコースティックギターでの演奏だが、このライブではエレキギターを用いたロックテイストのアレンジで披露された。淡々とした歌唱部分と、荒々しさが全面に押し出されたアンサンブルのギャップもさることながら、めまぐるしく変わる照明にも、その全てに自分は心を鷲掴みにされた。これがライブというものなのか…、そんな感想を抱きながら、すぐさま次の曲、「宇宙飛行士への手紙」が始まった。

このライブ用に長めにアレンジされたスペーシーなサウンドのイントロから始まり、第2イントロに入ると同時に強い衝撃音と共に幕が上がった。ステージの方で銀テープが大きく舞い上がっているのが見える。アリーナの一番後ろにいた自分には到底その銀テが届くはずもないのだが、それでも前のアリーナの観客たちに劣らないくらいの興奮が沸き上がった。スクリーンにメンバーの姿がようやく映し出されたのだが、当時のベースの直井はロン毛で髪を細いバンドでまとめるという、ヒッピーに近い形のヘアスタイルをしていた。正直、変な髪形なんて思いながら、その時にしか鳴らせない音が次々に紡がれていく。

 

途中でMCが挟まれながら、「分別奮闘記」や「ゼロ」、「Stage of the ground」「友達の唄」と、「COSMONAUT」の曲を中心に最新曲やライブでの定番曲が次々に披露されていく。夢にまで見たバンプのライブは、まるで本当に夢の中にいるのではないかと思ってしまうくらいに、4人から奏でられる曲の数々に、ただただ心を奪われていた。

 

その後、「Smile」「友達の唄」を経て、「ハルジオン」が演奏された。これはライブあるあるだと思うのだが、それまで自分の中ではいまいちパッとしなかった曲が、ライブで聴いた際に一気に名曲だと気付く事がある。そして、このライブでは「ハルジオン」がまさしくそれに当てはまる曲だった。音源でもそのロック然とした格好良さは感じていたが、生で聴くとその鋭さが一段と際立って感じられた。ライブだからこその重低音が強いサウンドもあってか、ドラムの一音一音が自分の体を強く振動させた。

 

「ハルジオン」の後、メンバーはメインステージを離れ、「四方から見られて恥ずかしいから」という理由で「恥ずかし島」と名付けられたサブステージへと移動した。先ほどまで米粒ぐらいの大きさでしか見る事の出来なかったメンバーがより近くに来る。その事にテンションが上がった自分は柄にもなくメンバーの名前を呼んだりしていた。そして「恥ずかし島」での演奏が始まった。「車輪の唄」では観客の皆が思い思いに体を揺らし、「sailing day」では皆揃って腕を上へと掲げていた。一つの音楽を中心として、観客全員の心が一つとなる。そんなライブというものの素晴らしさをこの2曲を通して感じていた。

 

「恥ずかし島」での演奏を終え、メンバーはメインステージへと戻っていく。その途中でいきなり流れ始めた音楽。自分はすぐに「星の鳥」のあのメロディーだと気付く。そしてメインステージのスクリーンに映し出される、宇宙空間をバックの赤いデジタル表記の現在時刻。今この時間だけのライブであるという事を示す演出に観客全体が改めて息を呑み、メンバーの再登場を心待ちにしている。そして再びステージに現れた彼らが披露したのは「メーデー」。そう、「orbital period」の流れそのままの披露だった。会場のボルテージはこの曲で再び最高潮となり、自分がいた一番後ろのアリーナブロックでもサビでジャンプが起きていた。間奏のドラムソロやラスサビでの盛り上がりもそのままに、ライブは終盤へと差し掛かっていく。

 

「イノセント」「supernova」「beautiful glider」と、バンプの曲の中でも特にシリアスな曲が続く。バンプのライブでは恒例の「supernova」での合唱も、自分にとっては初体験の事だった。「ラララ」だけの極めてシンプルなメロディーが、この会場にいる全員によって奏でられる。その時のエコパアリーナは、きっとその日で一番大きな優しさに包まれていたといっても過言でないくらい、素晴らしい空間と化していた。

 

「beautiful glider」が終わり、バンプは再びギターを鳴らし始める。今まで聞いた事ない4人のアンサンブルはとても重く暗いものだったが、何故か引き付けるものがあり、次の曲を今か今かと待ちわびる自分たちの心を焚きつけるようだった。そして、自分が2009年のあの日からずっと聞き続けたあのイントロが掻き鳴らされる。「カルマ」が、ついに来た。

一番好きな曲にテンションのゲージが振り切れてしまった自分はその日一番の大声を上げてその曲を迎え入れた。そして3分半という一瞬を、とにかく全力で味わおうとした。今となっては周りのお客さんに全力で謝りたいのだが、興奮のあまり、サビを熱唱してしまったりもした。大迷惑でしかない行動も取ってしまうくらいに、その日一番の熱狂に一人包まれていた。

そして最後の曲、「天体観測」の時間がやってきた。誰もが知っているバンプのアンセムに高まった観客が皆一様に掛け声を上げ、腕を振り回していた。そして、サビ終わりのあの「オーイエ―アハーン」も全員で歌い、本編は幕を閉じた。

 

興奮冷めやらぬ観客は、アンコールの催促として「supernova」のサビを歌い始める。初めてのバンプのライブだった自分は、こういうものなのかと思いながら、その合唱の輪に加わった。広い会場ゆえに所々で合唱にズレが生じていくのだが、それもまたひとつの要素として見事に機能していた。観客がひたすら手を左右に振りながら合唱を続けていると、ステージが明るくなり、メンバーが再び自分たちの前に現れた。アンコールの時間だ。

 

ステージに現れたメンバーはすぐさま「K」を演奏し始めた。バンプの中でも屈指の人気を誇るこの曲のサプライズ的な披露に会場も思わずどよめいていた。「K」の演奏が終わり、グッズ紹介やメンバーの感想などといったMCを経て最後の一曲として「ガラスのブルース」が披露された。バンプの始まりの曲、自分は震災の際にラジオで披露された弾き語りの事も思い出しながら、もうすぐ終わってしまうこの瞬間に思いを馳せていた。そして間奏に入ると同時に藤原基央の口から発せられる「ギター、増川弘明!」の一言。ラスサビ前の大合唱を含め、このライブがかけがえのないものへとなっていくのが、自分の中でも感じられた。

ガラスのブルース」の演奏が終わり、楽器を置くメンバーたち、観客もこの時間が終わってほしくないのか、それぞれがメンバーへと歓声を送っている。すると、「もう一曲やっていい?」という藤原基央の声が。観客は再び熱気を起こして、その提案を受け入れた。そして披露されたのが、あの「DANNY」だった。

 

バンプの隠しトラックの中でも特に人気を誇る楽曲であり、ライブでも千秋楽や、ごくごく稀にしか演奏されないこの曲。自分は、存在こそは認知していたものの、聞いた事はなかったため、けたたましいサウンドと、バンプ唯一の全編英語の歌詞に、とにかく流れのまま付いていくしかなかったのを覚えている。自分が生で聴けた「DANNY」はこのライブのみで、以降のバンプのライブに参加する時も、「DANNY」をもう一度聴く事が出来ないかという期待を抱いてしまっている。自分にとっての初めてのバンプのライブは、それまでの興奮と喜びを噛みしめつつ、「DANNY」に呆気にとられたままの自分を残したまま、こうして終わっていった。

 

終演後、ぞろぞろとそれぞれの家路に着く観客たち。自分はライブの興奮そのままに、当時まだ手に入れていなかった「天体観測」のCDを物販で購入し、母親の車で送られながら、「天体観測」と「バイバイサンキュー」の2曲を、ひたすらリピートしていた。

 

ここまで長々と初のバンプのライブのレポートを書き連ねてきたが、やはり「最初」という付加価値もあってか、このライブに関しては今でもハッキリと思い出せる場面が多々あり、それこそ、それら全ての思い出が金色に輝いているように感じられる。

後にこのツアーの代々木第一体育館での様子を収めた映像作品も発売され、自分はすぐさま手に入れ、何度も見返していた。特に、「ガラスのブルース」に関しては、この映像作品でしか体験する事の出来ない、貴重なテイクが収録されているので、興味のある人には是非とも見てほしい。

 

こうして人生初のバンプのライブを経験した自分は、夏の「firefly」の発売などを経て、2013年へと突入していくのであった。

 

〈つづく〉

 

自分とBUMP OF CHICKEN その4 「FF零式」は未プレイです編

※このブログは、自分と、自分がこの世で一番好きなバンドであるBUMP OF CHICKENとの思い出を振り返る、言わば自分語り回顧録です。

 

3・11から数か月、日本も少しずつだが震災のダメージから回復しつつあった頃、チャリティシングルとして、「Smile」というタイトルのCDが発売される事が決定した。


BUMP OF CHICKEN「Smile」

 ※上記リンクはのちにバンドアレンジされたバージョン。

Softbankの震災復興のCMとして使用されたこの曲だが、「Smile」一曲のみの収録というバンプ史上初めての試みがなされたCDでもあったが、当時の自分はまだお小遣い制だったため、そのCDも買う余裕が作れなかった。そのため、ありきたりな話だが家の手伝いをしたからとか、何々を我慢したから、みたいな何かしらの難癖を付けて「Smile」のCDを買ってもらう事にした。「チャリティシングルを他人に買ってもらうってどうなの」と母親にCDを購入してもらう際に言われたが、本当に、復興に貢献する心は一切ないのかと、当時の自分に問い詰めたくなる。

 

2011年は震災の起きた年としても大変な一年だったが、自分にとっては中学生活最後の一年というのもあった。受験はもちろん、体育祭や合唱コンクールなどといった催しもの全てに「最後の」という接頭語が付いて回ってくる一年だ。吹奏楽部にも所属していた自分は、学業とそれ以外の様々なイベントに追われる一年を過ごしていた。

そんな生活を送る中で、バンプの新曲「ゼロ」が「ファイナルファンタジー零式」のテーマソングとして決定したというニュースが舞い込んできた。


BUMP OF CHICKEN「ゼロ」

当時はまだ自分のケータイを持っていなかったので、母親のガラケーを借りて、まだ黒地に白の、まるでアングラサイトみたいな雰囲気を醸し出していたモバイルサイトにアクセスしてその情報を目にしたのを覚えている。ゲーム自体は好きだったが、ドラクエやFFといったRPGにはそれほど興味を持たなかった当時の自分は、「カルマ」以来のゲームとのタイアップだな、くらいにしか思わなかった。しかし、「ゼロ」の発売が自分にとってとても貴重な体験となる事は、まだ知る由もなかったのである。

「ゼロ」の発売がアナウンスされてから数週間後、「FF零式」の発売が延期になったのと合わせて、「ゼロ」のCDも10月19日と発売が延期となったのだ。この10月19日という日、実は自分の誕生日だったのだ。自分の人生の記念日と、自分の好きなバンドの新譜の発売が重なるなんて事は、生きている間でもそうそう起こる事ではない。どこか運命的なものも感じながら、「今年の誕生日はきっと良い日になるに違いない」なんて考えながら来る発売日を指折り数えて待っていた。

 

しかし、この年の誕生日は、とにかく最悪の一年だった。「誕生日だから良い日になるに違いない」と、自分の中で期待値を上げてしまっていたのもあったのだろうが、何故かいつもより授業で問題を上手く答えられなかったとか、部活でいつも以上に先生からのダメだしを受けたとか、友達ともちょっとした言い合いになったりなど、とにかく不運続きで元々そんなに強くないメンタルがどんどん削られていった。

極めつけは帰宅してからだった。我が家では誕生日には外食するという決まりがあったのだが、その日に限って親の仕事が長引き元々予定していたお店に行く事が出来ず、慌てて入った店も、それほど美味しくない所だったりと、その日のほぼ最後まで災難続きだった。まだまだ精神面は小学生並みだった自分は、「こんなにツイてない誕生日があってたまるかよ…」と、もう少しで泣いてしまうくらいに意気消沈していた。

 

それでも、今年の誕生日がまだ良い日だったと思えたのは、やはり「ゼロ」の存在があったからだった。その日の行程の一番最後にCDショップによって「ゼロ」を購入し、速攻でカーステレオにディスクを差し込み、収録曲を聞いた。「ゼロ」もバンドバージョンの「Smile」のどちらもバラードだったため、色んな意味で傷ついていた自分の心にとても深く染み入ったのを覚えている。

こうして2011年の誕生日は、何とかバンプのおかげで良い日にする事が出来たのであった。

 

時は進んで11月、この頃は11月末に控えている合唱コンクールの練習でてんやわんやしていた。自分は男子のまとめ役のような事をやっていて、練習場所をセッティングしたり、練習で使うラジカセなどの機材の準備などを担っていた。

また、その頃の自分は少しずつバンプのCDを集めだしていた時期だったというのもあり、CDを一枚手に入れる度に学校に持っていき、給食の時間に流してもらうよう放送室まで駆け込むという行いをしていた。

そんなラジカセの管理係とCDの持ち込みが重なったため、合唱コンクールの練習が終わった後にそのままバンプのCDをかけるという、今でいう「布教」のような事をしていた。色んな曲をクラスの人たちに聞いてもらったが、その中でも一番流行ったのは「ゼロ」の隠しトラックである「新鮮・お野菜王国の伝説のテーマ」だった。クラスの男子で集まって、「パスター!パスター!」と歌う様子は、今思い返すととても奇妙でしかない、担任の先生も、変な顔をしていたのを覚えている。ちなみに、その年の合唱コンクールは見事うちのクラスが「蒼鷺」で優勝をかっさらった。

 

もう少しで最悪の一日になる所だった誕生日や合唱コンクールなどを経て2011年を終えた自分は、翌年の高校受験も何とか志望校に進む事が出来、高校生活をスタートする事となった。そして、自分にとってとても重要な、初めてのバンプのライブに参加した2012年に突入する事となるのだった。 

 

〈つづく〉